山木康世YY掲示板「風のアホウドリ」

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チーバくみこ 2024/08/13 (火) 02:11:52

☆田端スタジオアンダンティーノ

「宮崎の方では、大変な地震が起きましたが、穏やかじゃないですねー。 
実際に起きると、あー、やっぱりーって思いますね。
つきなみになりますが、頑張ってもらいたいと思います。」

「50年、好きな事やってここまで生きてこられまして、
皆さんのご支援、ご鞭撻のおかげ。。。とは思ってないですが(笑)、自分の努力で(笑)
やっぱりお客さんあってのものなので、感謝、感激です。
鬼のようなスケジュールでライブやって、好きな事やってると、あっという間に年を取ってしまいまして。 年を忘れる。
それができてるっていうのは、ありがたいことです。」

「1週間に2回くらい好きな事(ライブ)をやって、自分の本分を、好きなように生きて行けて。 
それには健康が大事ですね。
デビューの頃懐かしく思いますし、今も大事ですね。
しばし田端の街で2時間ばかり、気持ちが楽になってくれればいいかなーと思っております。」

『雨に濡れて』
♪ほーら ほーら  ♪そーお そーお  のところを、ニヤケたお顔で歌った後。
「2人の世界みたいのを、自分の中で妄想しながら。 現実にはあり得ないんですがね。
完全にギターと歌がずれてるって。 大変な歌をお聞かせしてしまいましたが。 まあ忘れてください。」(笑)

『サクサク』
「おばあさんの名前が〈さく〉って言って、呼び捨てにして申し訳ないですが。(笑)
95歳まで生きられましたが。 最後の最後まで、おばあさんでしたね。(笑) 口紅塗ってましたね。」

「先ほど地震の話をしましたが、『不知火の風』っていう歌で、エールを送ってみたいと思います。
コロナの中で、1曲創りたいなと思って創りました。」

「1人でですね、全国出かけて行くわけですが。 ハモニカ吹いて、ギター弾いて。
アマチュア時代の、50年以上も前の歌をやってるわけですが、詞の感じ方が違って。 昔の自分と違うわけですね。
皆さんも、家族的にも子供が生まれたりとか、いろいろ変わって来て。
歌を通してコミュニケーション取れて、ただ聴いてるだけじゃなくて、時間の道のりを測りながら、
聴いてくれてるんじゃないかなって。
共有できる時間をね、関東近郊車で行ける所で、それを紐解けるっていうかね。
コロナがあってこうなった。 コロナが功を奏して、非常にいい時間を。 これから向かって行くわけですが。

今度ちょっとしたホールで、また新たな感じで紐解くって。
ここに私がおりますっていうのが、5月終わりか6月頃、沸き起こって。 やってみることに価値があるかなと思って。
後半戦は頑張る! 創った僕が行くんだよ。
生き物なんですね、僕が創った歌は。 時間とともに流れて、懐かしい歌になったんじゃなくて。
ふきのとうの山木さん、あそこにいた人だよね? 鉛筆みたいな人だったよね?って。(笑)
わかんないけどさ。 新聞とか告知して、やってみんのさっ!!」

『風来坊』
「自分の中ではね、このような感じで創ったつもりなんだけど、果たして細坪は、どうだったのかな?
創った時、これがこうで・・・とか言わない、お任せで。 それがふきのとうの良さで。詞を見て歌えばわかるはずで。」

「今度、田辺っていうとこに行くんですが、弁慶の像が残ってたりする。 ほんとかよーって。
じゃあ久しぶりに『弁慶と義経』

久しぶりにやったんですが、戦艦三笠で一番初めにやりましたね。 ライブ盤で聴くと、別人なんですね。
帰って聴いたら凄いですよ。 力が入り過ぎちゃって空回りなんですよ。
夢中にオープンチューニングの弁慶かき鳴らしながらやってた。
何年前なんだ? 2013年11月3日。 えー? いくつなんだ? わかんない。(笑)
今度、田辺でやった時、どんなふうになるか。」

山木さんのお話し、いつもごく一部しか書けていませんけど、
50周年ということもあってか、ここのところ、思いの丈をたくさん話されていますが、
聴いていますと、山木さんが一番、改めて声を大にしておっしゃりたいのは、
「ふきのとう時代からの曲の数々は、僕が創ったんだよ。」っていうことのようです。
本当にそうだなと思います。

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