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世親『法華論』における「第八:大菩提成就無上」から「第十:勝妙力無上」に至る解説の核心部分です。
特に「第八」は、『法華経如来寿量品第十六』の最も深い教理である「三身(応身・報身・法身)」の仏身論と、「如来蔵(衆生と仏の不二)」の関係を明かす極めて重要なテキストです。国訳等の伝統的な教学解釈(清水氏らの補足の精神)を踏まえ、文脈が通るよう正確に現代語訳します。
『法華論』第八〜第十の現代語訳## 【第八:大菩提(悟り)成就無上】
「第八には、大菩提(仏の悟り)を成就することが最高無上であることを示現するが故である。[この寿量品においては]三種の仏の菩提(悟りの現れ)が示現されているからである。」
「一には、応仏(応身仏)の菩提を示現する。[これは仏が]衆生の機根(見られるべき状態)に応じて現されたものである。経(寿量品)に『[諸の天、人、阿修羅は]皆、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出て、伽耶城を去ること遠からざる道場に坐し、阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)を得たりと謂えり』と説かれるのがこれに当たる。」
「二には、報仏(報身仏)の菩提を示現する。十地(菩薩の最高位)の修行を満たし、常住の涅槃の証得を得たが故である。経に『善男子、我が実には成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』と説かれるのがこれに当たる。」
「三には、法仏(法身仏)の菩提を示現する。これはいわゆる如来蔵(すべての衆生に本来具わる仏性)であり、自性清浄涅槃、常・恒・清涼・不変などの意義をいう。」
「経に『如来は三界の相を如実に知見す……(中略)……三界が三界を見るが如くには、三界を見ず』と説かれるのがこれに当たる。」
「[この経文にいう]『三界の相』とは、『衆生の境界』がそのまま『涅槃の境界』であるという意味である。衆生の境界を離れて如来蔵(仏の本質)があるわけではないからである。」
「[経に]『生死の若(も)しは退、若しは出あること無し』とあるのは、[法身の]常・恒・清涼・不変の意義をいうが故である。」
「また[経に]『亦(ま)た在世及び滅度する者無し』とあるのは、如来蔵たる真如の本体は、[迷える]衆生の境界そのものではないが(不即)、しかし衆生の境界を離れてあるものでもない(不離)からである。」
「[経に]『実(じつ)に非ず、虚(きょ)に非ず、如に非ず、異に非ず』とあるのは、[実・虚・如・異という]四つの相(固定観念)を離れていることをいう。これら四つの相を持つものは、すべて[変化する]無常の法だからである。」
「[経の]『三界が三界を見るが如くには、三界を見ず』とは、仏・如来は真如の法身を正しく見、正しく証得しているが、凡夫にはそれが見えないということをいう。それゆえ経に『如来は明らかに見て錯謬(あやまり)無きが故に』と言われているのである。」
「[経に]『我が本(もと)菩薩の道を修行して成ぜし寿命、今も猶(なお)未だ尽きず』とあるのは、[仏の過去の]本願に依るからである。衆生の境界が尽きない限り、仏の救いの願いは[歴史的に]終わりを迎えない。したがって『未だ尽きず(未満)』と言うのは、仏の菩提(智慧)が満足(完成)していないという意味ではない。」
「[経に]『所成の寿命、復(ま)た上の数に倍せり』という文は、如来の寿命が常住であることを、巧みな方便(善巧方便)によって『極めて大きな数字』として示現したものである。それは上の数量を超えており、数え知ることはできない。」
「[経に]『我がこの土(浄土)は安穏にして……(中略)……衆生は焼尽して』とあるのは、報仏(報身)たる如来の真実の浄土は、第一義諦(最高究極の真理)に属するものであることを示している[から、世界の破滅に巻き込まれることはない]。」