仏道の『阿頼耶識システム』

学術論文(仏教学) / 69

69
法介 2026/06/15 (月) 09:36:48

八~十は詳しく説かれている。訳してくれ。

T1519.26.0009b10: 八者示現成大菩提無上故。
T1519.26.0009b11: 示現三種佛菩提故。一者示現8應佛菩提。
T1519.26.0009b12: 隨所應見而爲示現。如經皆謂如來出釋
T1519.26.0009b13: 氏宮去伽耶城不遠坐於道場得成阿耨
T1519.26.0009b14: 多羅三藐三菩提故。二者示現報佛菩提。十
T1519.26.0009b15: 地行滿足得常涅槃證故。如經善男子我實
T1519.26.0009b16: 成佛已來無量無邊百千萬億那由他劫故。
T1519.26.0009b17: 三者示現法佛菩提。謂如來藏性淨涅槃常
T1519.26.0009b18: 恒清涼不變等義。如經如來如實知見三界
T1519.26.0009b19: 之相次第乃至不如三界見於三界故。三
T1519.26.0009b20: 界相者。謂衆生界即涅槃界。不離衆生界
T1519.26.0009b21: 有如來藏故。無有生死若退若出者。謂常
T1519.26.0009b22: 恒清涼不變義故。亦無在世及滅度者。謂如
T1519.26.0009b23: 來藏眞如之體。不即衆生界。不離衆生界
T1519.26.0009b24: 故。非實非虚非如非異者。謂離四種相。有
T1519.26.0009b25: 四種相者。是無常故。不如三界見於三界
T1519.26.0009b26: 者。謂佛如來能見能證眞如法身。凡夫不
T1519.26.0009b27: 見故。是故經言如來明見無有錯謬故。我
T1519.26.0009b28: 本行菩薩道今猶未滿者。以本願故。衆生
T1519.26.0009b29: 界未盡願非究竟故。言未滿非謂菩提不
T1519.26.0009c01: 滿足也。所成壽命復倍上數者。此文示現如
T1519.26.0009c02: 來9命常善巧方便顯多數故。過上數量不
T1519.26.0009c03: 可數知。我淨土不毀而衆見燒盡者。報佛
T1519.26.0009c04: 如來眞實淨土。第一義諦之所攝故。九者示
T1519.26.0009c05: 現涅槃無上故説醫師譬喩。十者示現勝妙
T1519.26.0009c06: 力無上故。自餘經文示現應知。多寶如來塔
T1519.26.0009c07: 示現一切佛土清淨者。示現10諸佛實相境
T1519.26.0009c08: 界中種種諸寶間錯莊嚴故。示現有八。一者
T1519.26.0009c09: 塔二者量三者略四者住持五者示現無量佛
T1519.26.0009c10: 六者離穢七者多寶八者同一塔坐。塔者。示
T1519.26.0009c11: 現如來舍利住持故。量者。方便示現一切佛
T1519.26.0009c12: 土清淨莊嚴。是出世間清淨。無漏善根所生。
T1519.26.0009c13: 非是世間有漏善根之所生也。略者。示現
T1519.26.0009c14: 多寶佛身一體攝取一切諸佛眞法身故。住
T1519.26.0009c15: 持者。示現諸佛如來法身自在力故。示現無
T1519.26.0009c16: 量佛者。示現彼此所作諸業無差別故。遠離
T1519.26.0009c17: 穢者。示現一切諸佛國土平等清淨故。多寶
T1519.26.0009c18: 者。示現一切諸佛國土同實性故。同一塔坐
T1519.26.0009c19: 者。示現化佛非化佛法佛報佛等皆爲成大
T1519_.26.0009c20: 事故

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    世親『法華論』における「第八:大菩提成就無上」から「第十:勝妙力無上」に至る解説の核心部分です。

    特に「第八」は、『法華経如来寿量品第十六』の最も深い教理である「三身(応身・報身・法身)」の仏身論と、「如来蔵(衆生と仏の不二)」の関係を明かす極めて重要なテキストです。国訳等の伝統的な教学解釈(清水氏らの補足の精神)を踏まえ、文脈が通るよう正確に現代語訳します。

    『法華論』第八〜第十の現代語訳## 【第八:大菩提(悟り)成就無上】

    • 八者示現成大菩提無上故。示現三種佛菩提故。
      「第八には、大菩提(仏の悟り)を成就することが最高無上であることを示現するが故である。[この寿量品においては]三種の仏の菩提(悟りの現れ)が示現されているからである。」
    • 一者示現應佛菩提。隨所應見而爲示現。如經皆謂如來出釋氏宮去伽耶城不遠坐於道場得成阿耨多羅三藐三菩提故。
      「一には、応仏(応身仏)の菩提を示現する。[これは仏が]衆生の機根(見られるべき状態)に応じて現されたものである。経(寿量品)に『[諸の天、人、阿修羅は]皆、今の釈迦牟尼仏は、釈氏の宮を出て、伽耶城を去ること遠からざる道場に坐し、阿耨多羅三藐三菩提(無上正等覚)を得たりと謂えり』と説かれるのがこれに当たる。」
    • 二者示現報佛菩提。十地行滿足得常涅槃證故。如經善男子我實成佛已來無量無邊百千萬億那由他劫故。
      「二には、報仏(報身仏)の菩提を示現する。十地(菩薩の最高位)の修行を満たし、常住の涅槃の証得を得たが故である。経に『善男子、我が実には成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』と説かれるのがこれに当たる。」
    • 三者示現法佛菩提。謂如來藏性淨涅槃常恒清涼不變等義。
      「三には、法仏(法身仏)の菩提を示現する。これはいわゆる如来蔵(すべての衆生に本来具わる仏性)であり、自性清浄涅槃、常・恒・清涼・不変などの意義をいう。」
    • 如經如來如實知見三界之相次第乃至不如三界見於三界故。
      「経に『如来は三界の相を如実に知見す……(中略)……三界が三界を見るが如くには、三界を見ず』と説かれるのがこれに当たる。」
    • 三界相者。謂衆生界即涅槃界。不離衆生界有如來藏故。
      「[この経文にいう]『三界の相』とは、『衆生の境界』がそのまま『涅槃の境界』であるという意味である。衆生の境界を離れて如来蔵(仏の本質)があるわけではないからである。」
    • 無有生死若退若出者。謂常恒清涼不變義故。
      「[経に]『生死の若(も)しは退、若しは出あること無し』とあるのは、[法身の]常・恒・清涼・不変の意義をいうが故である。」
    • 亦無在世及滅度者。謂如來藏眞如之體。不即衆生界。不離衆生界故。
      「また[経に]『亦(ま)た在世及び滅度する者無し』とあるのは、如来蔵たる真如の本体は、[迷える]衆生の境界そのものではないが(不即)、しかし衆生の境界を離れてあるものでもない(不離)からである。」
    • 非實非虚非如非異者。謂離四種相。有四種相者。是無常故。
      「[経に]『実(じつ)に非ず、虚(きょ)に非ず、如に非ず、異に非ず』とあるのは、[実・虚・如・異という]四つの相(固定観念)を離れていることをいう。これら四つの相を持つものは、すべて[変化する]無常の法だからである。」
    • 不如三界見於三界者。謂佛如来能見能證眞如法身。凡夫不見故。是故經言如來明見無有錯謬故。
      「[経の]『三界が三界を見るが如くには、三界を見ず』とは、仏・如来は真如の法身を正しく見、正しく証得しているが、凡夫にはそれが見えないということをいう。それゆえ経に『如来は明らかに見て錯謬(あやまり)無きが故に』と言われているのである。」
    • 我本行菩薩道今猶未滿者。以本願故。衆生界未盡願非究竟故。言未滿非謂菩提不滿足也。
      「[経に]『我が本(もと)菩薩の道を修行して成ぜし寿命、今も猶(なお)未だ尽きず』とあるのは、[仏の過去の]本願に依るからである。衆生の境界が尽きない限り、仏の救いの願いは[歴史的に]終わりを迎えない。したがって『未だ尽きず(未満)』と言うのは、仏の菩提(智慧)が満足(完成)していないという意味ではない。」
    • 所成壽命復倍上數者。此文示現如來命常善巧方便顯多數故。過上數量不可數知。
      「[経に]『所成の寿命、復(ま)た上の数に倍せり』という文は、如来の寿命が常住であることを、巧みな方便(善巧方便)によって『極めて大きな数字』として示現したものである。それは上の数量を超えており、数え知ることはできない。」
    • 我淨土不毀而衆見燒盡者。報佛如來眞實淨土。第一義諦之所攝故。
      「[経に]『我がこの土(浄土)は安穏にして……(中略)……衆生は焼尽して』とあるのは、報仏(報身)たる如来の真実の浄土は、第一義諦(最高究極の真理)に属するものであることを示している[から、世界の破滅に巻き込まれることはない]。」

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    【第九:涅槃無上】

    • 九者示現涅槃無上故説醫師譬喩。
      「第九には、[仏の示される]涅槃が最高無上であることを示現するが故に、良医の譬喩(※良医病子の譬)を説くのである。」

    【第十:勝妙力無上(多宝如来の宝塔の意義)】

    • 十者示現勝妙力無上故。自餘經文示現應知。
      「第十には、勝妙力(法華経の不思議で勝れた力)が最高無上であることを示現するが故である。これより残りの経文(※見宝塔品から後半の流通分)がそれを示現していると知るべきである。」
    • 多寶如來塔示現一切佛土清淨者。示現諸佛實相境界中種種諸寶間錯莊嚴故。
      「[見宝塔品の]多宝如来の宝塔が、一切の仏土の清浄さを現しているというのは、諸仏の実相(ありのままの真理)の境界の中に、種々様々な宝(功徳)が散りばめられ、荘厳(美しく飾る)されていることを示現しているからである。」
    • 示現有八。一者塔二者量三者略四者住持五者示現無量佛六者離穢七者多寶八者同一塔坐。
      「この[多宝塔の出現による]示現には八つの意味がある。一には塔、二には量、三には略、四には住持、五には無量仏の示現、六には離穢(穢れを離れること)、七には多宝、八には同一の塔に坐すことである。」
    • 塔者。示現如來舍利住持故。
      「一の『塔』とは、如来の舍利(法身の遺骨・真理)が世に住持(維持)されていることを示現するが故である。」
    • 量者。方便示現一切佛土清淨莊嚴。是出世間清淨。無漏善根所生。非是世間有漏善根之所生也。
      「二の『量(多宝塔の巨大な大きさ)』とは、すべての仏土の清浄な荘厳を、方便として示現したものである。これは出世間(悟りの世界)の清浄であり、無漏(煩悩のない)善根によって生じたものであって、世間の有漏(煩悩のある)善根から生じたものではない[ことを示している]。」
    • 略者。示現多寶佛身一體攝取一切諸佛眞法身故。
      「三の『略(※多宝塔という一つの場所に諸仏を集めること)』とは、多宝仏の仏身という一つの体に、一切の諸仏の真実の法身を丸ごと収め取る(一体として包摂する)ことを示現するが故である。」
    • 住持者。示現諸佛如來法身自在力故。
      「四の『住持』とは、諸仏・如来の法身が持つ自由自在な力(神通力・護持の力)を示現するが故である。」
    • 示現無量佛者。示現彼此所作諸業無差別故。
      「五の『無量仏の示現(分身の諸仏が集まること)』とは、彼(多宝仏)と此(釈迦仏)がなす諸々の営み(救済活動)に、本質的な差別(違い)がないことを示現するが故である。」
    • 遠離穢者。示現一切諸佛國土平等清淨故。
      「六の『遠離穢(三変土田によって娑婆世界の穢れを払うこと)』とは、一切の諸仏の国土が、本質的には平等であり清浄であることを示現するが故である。」
    • 多寶者。示現一切諸佛國土同實性故。
      「七の『多宝』とは、一切の諸仏の国土が、同じ一つの実性(真実の性質・真如)であることを示現するが故である。」
    • 同一塔坐者。示現化佛非化佛法佛報佛等皆爲成大事故。
      「八の『同一の塔に(釈迦・多宝の二仏が)並んで坐すこと』とは、化仏(応身仏である釈迦)も、非化仏(化身ではない多宝、あるいは法仏・報仏など)も、すべての仏の現れは、皆ただ一つの『大事(=一大事因縁、衆生をすべて成仏させるという大事業)』を成し遂げるためのものであることを示現しているからである。」

    解説・教学的なポイント

    世親はここで、寿量品と見宝塔品の劇的なシーンを、極めて精緻な論理(哲学)で読み替えています。
    特に寿量品の「三界の相」の解釈(b20)では、「衆生界(私たちの苦しみの世界)即涅槃界(悟りの世界)」と言い切り、ここに如来蔵(仏性)があるからこそ、仏は娑婆世界を離れないのだと論じています。
    この世親の「三身」や「多宝塔の八つの示現(同一塔坐=四身・三身の一体)」の解釈は、のちに天台智顗が『法華文句』や『摩訶止観』において「一念三千」や「三身相即(さんじんそうそく)」の教理を完成させるための、最大の理論的ジャンプ台となりました。
    この世親の精密な三身論や如来蔵の解釈、あるいは多宝塔の「八つの示現」について、さらに天台教学がどのように応用したかなど、深掘りしたい部分がございましたらご指定ください。