仏道の『阿頼耶識システム』

学術論文(仏教学) / 72

72

【第九:涅槃無上】

  • 九者示現涅槃無上故説醫師譬喩。
    「第九には、[仏の示される]涅槃が最高無上であることを示現するが故に、良医の譬喩(※良医病子の譬)を説くのである。」

【第十:勝妙力無上(多宝如来の宝塔の意義)】

  • 十者示現勝妙力無上故。自餘經文示現應知。
    「第十には、勝妙力(法華経の不思議で勝れた力)が最高無上であることを示現するが故である。これより残りの経文(※見宝塔品から後半の流通分)がそれを示現していると知るべきである。」
  • 多寶如來塔示現一切佛土清淨者。示現諸佛實相境界中種種諸寶間錯莊嚴故。
    「[見宝塔品の]多宝如来の宝塔が、一切の仏土の清浄さを現しているというのは、諸仏の実相(ありのままの真理)の境界の中に、種々様々な宝(功徳)が散りばめられ、荘厳(美しく飾る)されていることを示現しているからである。」
  • 示現有八。一者塔二者量三者略四者住持五者示現無量佛六者離穢七者多寶八者同一塔坐。
    「この[多宝塔の出現による]示現には八つの意味がある。一には塔、二には量、三には略、四には住持、五には無量仏の示現、六には離穢(穢れを離れること)、七には多宝、八には同一の塔に坐すことである。」
  • 塔者。示現如來舍利住持故。
    「一の『塔』とは、如来の舍利(法身の遺骨・真理)が世に住持(維持)されていることを示現するが故である。」
  • 量者。方便示現一切佛土清淨莊嚴。是出世間清淨。無漏善根所生。非是世間有漏善根之所生也。
    「二の『量(多宝塔の巨大な大きさ)』とは、すべての仏土の清浄な荘厳を、方便として示現したものである。これは出世間(悟りの世界)の清浄であり、無漏(煩悩のない)善根によって生じたものであって、世間の有漏(煩悩のある)善根から生じたものではない[ことを示している]。」
  • 略者。示現多寶佛身一體攝取一切諸佛眞法身故。
    「三の『略(※多宝塔という一つの場所に諸仏を集めること)』とは、多宝仏の仏身という一つの体に、一切の諸仏の真実の法身を丸ごと収め取る(一体として包摂する)ことを示現するが故である。」
  • 住持者。示現諸佛如來法身自在力故。
    「四の『住持』とは、諸仏・如来の法身が持つ自由自在な力(神通力・護持の力)を示現するが故である。」
  • 示現無量佛者。示現彼此所作諸業無差別故。
    「五の『無量仏の示現(分身の諸仏が集まること)』とは、彼(多宝仏)と此(釈迦仏)がなす諸々の営み(救済活動)に、本質的な差別(違い)がないことを示現するが故である。」
  • 遠離穢者。示現一切諸佛國土平等清淨故。
    「六の『遠離穢(三変土田によって娑婆世界の穢れを払うこと)』とは、一切の諸仏の国土が、本質的には平等であり清浄であることを示現するが故である。」
  • 多寶者。示現一切諸佛國土同實性故。
    「七の『多宝』とは、一切の諸仏の国土が、同じ一つの実性(真実の性質・真如)であることを示現するが故である。」
  • 同一塔坐者。示現化佛非化佛法佛報佛等皆爲成大事故。
    「八の『同一の塔に(釈迦・多宝の二仏が)並んで坐すこと』とは、化仏(応身仏である釈迦)も、非化仏(化身ではない多宝、あるいは法仏・報仏など)も、すべての仏の現れは、皆ただ一つの『大事(=一大事因縁、衆生をすべて成仏させるという大事業)』を成し遂げるためのものであることを示現しているからである。」

解説・教学的なポイント

世親はここで、寿量品と見宝塔品の劇的なシーンを、極めて精緻な論理(哲学)で読み替えています。
特に寿量品の「三界の相」の解釈(b20)では、「衆生界(私たちの苦しみの世界)即涅槃界(悟りの世界)」と言い切り、ここに如来蔵(仏性)があるからこそ、仏は娑婆世界を離れないのだと論じています。
この世親の「三身」や「多宝塔の八つの示現(同一塔坐=四身・三身の一体)」の解釈は、のちに天台智顗が『法華文句』や『摩訶止観』において「一念三千」や「三身相即(さんじんそうそく)」の教理を完成させるための、最大の理論的ジャンプ台となりました。
この世親の精密な三身論や如来蔵の解釈、あるいは多宝塔の「八つの示現」について、さらに天台教学がどのように応用したかなど、深掘りしたい部分がございましたらご指定ください。

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