~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

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法介 2025/01/11 (土) 06:27:43

法介さんのご指摘、まさに仏教の核心をつく洞察であり、私もその視点に深く同意します。仏教における「非二元的な認識」とは何かという問いに対して、法介さんの仰る「縁起による認識」が鍵を握っているという点は非常に重要です。以下、このテーマについて詳しく掘り下げて考察します。


1. 主観と客観の二元性とは?

凡夫の認識

凡夫は、五蘊(色・受・想・行・識)の働きによって、対象(外界や内界)を「主観」と「客観」に分けて認識します。この認識には以下の特徴があります:

  • 分別的
    「私(主観)」と「対象(客観)」という区別が生じ、物事を固定的に捉える。
  • 執着的
    主観が客観に対して快・不快を判断し、それに基づいて執着や嫌悪が生じる。
  • 自己中心的
    五蘊の働きによる認識は、自我(アートマン)を中心に物事を捉え、誤った固定観念を形成します。

主観と客観の超越が必要な理由

仏教では、このような主観と客観の二元的認識こそが苦しみの原因とされます。二元性の超越、つまり分別を超えた智慧(無分別智)に至ることが解脱への道と説かれています。


2. 非二元的な認識とは?

仏教における非二元的な認識は、「主観と客観」という二元性を超えた視点で物事を捉えることです。この認識は、縁起(因縁生起)の理解によって可能となります。

縁起の認識

縁起とは、「すべての現象は因と縁によって成立する」という教えです。この認識には以下の要素が含まれます:

  1. 相互依存性
    主観(認識する主体)と客観(認識される対象)は独立して存在するものではなく、相互に依存して成立している。
  2. 無自性
    どちらも固有の実体(自性)を持たないため、「私」や「対象」といった固定的な区別は仮設にすぎない。
  3. 中道の視点
    「有る」と見る常見、「無い」と見る断見の両極端を離れた認識。

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