チャッピー、次の私のオリジナル小説の文章をもっといい感じに仕上げてくれ。
日本史において、およそ200年続いた戦国の世。
その乱世に終止符を打った天下人、徳川家康。
その家康が築いた徳川幕府は260年もの長きにわたって繁栄し、さまざまな文化が開花した。
江戸時代以前の争い事が絶えなかった戦国の世の剣術は、たんなる殺人剣法でしかなかった。しかし、その「殺人剣」を仏法で説かれる「禅」の教えを取り入れ、「剣禅一致」という人間としての高みを目指す、人を活かす「活人剣」に転じ、剣術を武道へと昇華させた剣術家がいた。
徳川将軍家剣術指南役、柳生但馬守宗矩(やぎゅう たじまのかみ むねのり)その人である。
歴史上、剣豪と称された人物が大名の地位にまで上り詰めたのは、大和柳生藩初代藩主となった柳生宗矩只一人である。
家康、秀忠、家光と三代将軍の剣術指南役を任され、幕府初代惣目付として松平信綱、春日局と共に三代将軍徳川家光を支えた鼎の脚の一人とされた柳生宗矩。
家康が徳川の世を治めるにあたって兵法指南役として選んだその柳生の剣は、
「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと(間違い)也。人をきるにはあらず、悪をころす也」
「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」
の宗矩の言葉にいい表されるように、己の人間性を高める武士道であり、その武士が向き合う刀は「武士の魂」とまで言われるようになった。
日蓮法華道 「空観寺」
福岡の西の外れの山中奥深く入っていった所に、日蓮法華道『空観寺』という寺がある。
その庭は、白砂や小石を敷いて水の流れを表現し水面に見立てた「枯山水」。
室町時代の禅宗寺院で特に用いられ発達したこの独特な庭園様式は、禅問答をする空間でもある。だからこそ抽象的な表現を通して見る者の心に何かしらを問いかけてくる。
枯山水に限らず日本文化の奥底には、こういった仏教文化が深く染み込んで独創性豊かに発展してきたものが多い。
その日本に於いて無数に存在する仏教宗派。
宗派と言うだけにお寺は普通、〇〇宗といった呼び名でその宗派を名乗る。しかし、ここに紹介する「日蓮法華道」と言うお寺は、、該存の宗派に属した教団としての宗派ではなく、剣道や柔道、書道や華道といった「道」を極めるといった意味で日蓮が説く「法華経」の極意へと通ずる道を学ぶ寺である。
その寺の本堂には日蓮が顕した十界曼荼羅が本尊として祭られている。その本尊に手を合わせ法華経を読誦し、お題目を唱えるのがこの寺の修行の有り様である。
日蓮法華道「空観寺」第75世住職、巌空(がんくう)。
彼は今年で61歳になる。