~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

小説創作用チャットGPT / 19

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法介 2025/01/12 (日) 04:48:24

引き続き次の文章を良い感じに仕上げてくれ。

因果

アフロも来日中は、アドバンと一緒にこの寺に寝泊りしている。仲の良い陽次郎もアフロの来日中は、実家ではなくアフロと一緒に寺に寝泊りしている。
 
「こらぁ! アフロ! お前また居眠りこいておるな!」

アフロと陽次郎は、事あるごとに巌空和尚の説法も聞かされる。

「陽次郎、さっき和尚が言ってた当体蓮華と比喩蓮華って何がどう違うのか解ったか?」

和尚は「法華経」で説かれる当体蓮華と比喩蓮華の説法をしたようだが、どうもアフロには難しい話だったようだ。

「比喩蓮華ってのは喩えを用いることで理解に至る。
要するに因と果の関係だろ。
当体蓮華ってのは喩えではなく因と果が同時に
同体で存在するってことだろ」

「どう違うんだ?」
「比喩蓮華ってのは因果関係になるから時間の流れがそこには生じる。因を元として果を得るってな」

「なる程」

「当体蓮華ってのはその因と果が同時に同体で存在するって訳だから、そこには時間の流れが無いってことになるだろ」

「ほうほう、それがどうかするのか?」

「時間の流れが生じない空間ってどんな空間だと思うよ?」

アフロが首をかしげて返答した。

「俺には想像がつかん・・・」

「現在と過去と未来が一瞬の中に同時に存在するって和尚が言ってただろ」

「あー、そんな事いってたな和尚」

「比喩蓮華が今世で仏に成ったお釈迦様で、当体蓮華が無始無終の三身如来って奴だろ」

「それは覚えてるんだ」

「始成正覚っつうんだろ。今世で仏に成ったお釈迦様のことを。
仏に成ったんだからそれで良くね?」

「時間の流れの中の悟りは真実の悟りじゃないんだ」

「なぜ? 俺ら時間の流れの中で生きているんだぜ?」

「いや、違う。明日、もし大地震が起きるとして誰がそれを予知しえる?」

「2年後に倒産すると分かてる会社に誰が入社する?」

そう言って説明する陽次郎にアフロが聞いた。
「それを予知しえるのが当体蓮華ってことなのか?
ええー! それってもの凄い事じゃん!
相手の攻撃を事前に予知できちゃう訳だろ?」

「まぁー、お前の立場に当てはめて言えば、そういうことだな」

アフロは戦闘機乗りである。瞬時の判断が要求される究極の戦闘空間において、相手の動きを事前に予知出来るということの有利性が即座に頭に浮かんだ。

「剣術だって同じだよ。相手の剣の動きを予知出来る有利性。それを幾度と無く経験してきたから、俺にはこの当体蓮華の意味が良く解かる」

柳生新陰流は、柳生宗矩が仏教の「禅」の教えを剣術に取り入れて生み出した「剣禅一如」というそれまでの剣術には無い、全く新しい剣術スタイルである。剣に対する考え方が全く異る。

それまでの剣豪達が目指したのは「天下無敵の剣」である。柳生も「天下無敵の剣」として当時、日本中にその名を轟かせた。しかし柳生の言う「天下無敵」の意味は、それまでの「敵を倒す無敵」ではなく、敵を敵として認識しなければ、そもそも敵など存在し得ないといった意味での「無敵」なのである。
仏法では、善人も悪人も実際のところいないと説く。自身が勝手に自身の価値観で善人や悪人を造りだしているに過ぎないと説かれている。これは認識論にもとづく真理(無我・無自性)である。

自身が相手を敵と見なさなければ、剣を抜くまでも無い。それ以前に戦いが起きない。戦国の世までひっきりなしに起きていた戦(いくさ)が、徳川の時代に入ってぴたりと無くなり、平穏な世の中が300年も続いた。それが仏法を剣術に取り入れた柳生の「天下無敵の剣」の功績である。
ただ人を殺(あや)めるだけの為の道具であった刀を、精神鍛錬の道具に変え、観る者を魅惑する芸術の域にまでその美を極めた「真剣」へと道を開いた柳生宗矩の剣に対する想いと、それを極めた「道」である。
アドバンはこの「柳生の里」で生活する中でそう言った事を深く理解していった。

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