では、続きの部分も良い感じに仕上げてくれ。
その巌空のもとで今、一人のアメリカ人が修行を行っている。彼の名をアドバン・J・ルークという。そうあのDestiny(ディステニー)部隊の闘将「アドバン」である。
禅
昨今、アメリカのシリコンバレーでは、ステーブ・ジョブズの影響で日本の「禅」がIT企業でもてはやされている。
アドバンも以前から「禅」に興味があったが、瞑想と禅の違いが今一つ理解出来ないでいた。そのことを巌空和尚に問うてみたところ、和尚は説法を始めた。
「今、アメリカでも“禅”が注目されているようじゃが、インド仏教と中国仏教とでその意味するところが全く異なることは、あまり知られてはいない」
「インドと中国とで同じ仏教なのに違うのですか?」
「そうじゃ、お釈迦様が説いたインド仏教における“禅”は、禅定(ジャーナ)といってな」
禅定(ジャーナ)とは、インド仏教で説かれる「初禅天・二禅天・三禅天・四禅天」からなる四つの天上界のことで、俗に言う「天国」の世界であると言った方が分かり易いかもしれない。その天上界へ意識を向かわせる修行が「禅定」である。
かたや、中国に広まった「禅」は、そのお釈迦様が説かれた四禅天の教えを“無の境地(ナッシング)”と誤って解釈した達磨大師のオリジナルの教えにあたる。
「では、瞑想は?」
アドバンが質問した。
「禅と瞑想は混同されがちじゃが、
実は全く意味するところが違う」
その説明をするにあたって和尚は、中国天台智顗の話を持ち出した。
「中国に智顗という天才的頭脳を持ち合わせた僧侶がおってな」
「智顗?」
「そう、またの名を天台大師とも言う」
天台智顗は、仏教がインドから中国に渡ってきた時、八万法蔵と言われたその広大な教えをその教えの内容から大きく四つに振り分けた。「蔵教・通教・別教・円教」のいわゆる「四教」と呼ばれる分類別けである。
「禅はその中の二番目の通教の中で説かれた教えじゃ」
「では瞑想は?」
「初歩の教えである一番目の蔵教じゃ」
そういって和尚は、蔵教と通教の違いを語りだした。
「蔵教は人間の心の世界観を説いた教えじゃが、
通教は肉体から解脱した仏の世界観が説かれておる」
蔵教では意識を客観から主観へと向かわせることで内なる心を観じとっていく、その修行法が「瞑想」である。それに対し、通教では更に意識を四禅天へと向かわせることで、仏の世界観を観じとっていく。
人間は実体をともなう現実空間の中で生きている。しかしその肉体はいずれ滅び死を迎えます。肉体は滅び亡くなっても魂は非実体空間に存在し続けます。亡くなった人の事を仏様と呼ぶ習慣がありますが、仏教では人は亡くなると仏になると説かれています。
しかし、それは仏道修行を実践した人だけが向かう空間で、一般の人達は、再び現実空間に生まれ変わり輪廻転生をくり返します。