次の章はちょっとむずいぞ。
うまいかんじで仕上げられるかな。
チャッピーの実力が問われる個所だ。
チャッピーならどうこれを仕上げる。
空
そのころ空観寺では、陽次郎とアフロが巌空和尚の説法を拝聴していた。陽次郎はメモを取りながら真面目に聞いているが、アフロは、また居眠りしているようだ。説法が終わってアフロが陽次郎に質問した。
「今日、和尚が言ってた「空」って何のことだかお前解かったか?」
空とは、「無我・無自性」を意味する言葉で、仏法ではこの「無我・無自性」の境地を目指す。これを解かりやすく説明すると・・・
自我意識を打ち消す為に仏法では様々な教えが説かれている。
なぜ自我意識を打ち消すのかと言えば、この自我意識こそが全ての悩みの根源であるからである。
では自我意識はどうして生じるかと言えば、突き詰めれば肉体がある限り自我意識は必ず生じる。つまり自我意識は肉体から生じるもので、その自我意識の完全なる消滅を目指そうとするならば、肉体の寂滅(死)に至るしかない。
生前にこの「無我・無自性」の境地に至った者は肉体への執着から離れ、死後に魂は天上界へと向かう。そうでない者達は肉体への執着ゆへに再び肉体を伴って生を受け六道を輪廻転生する。
天上界とは「初禅天・二禅天・三禅天・四禅天」の四禅天のことである。
「禅」は本来、この四禅天へ意識を向かわせる教えであることは既にお話ししました。
では、天上界、天界とも言うが、それがどういった世界なのかと言えば、解かりやすい言葉で言えば、仏が住む世界と言うことである。
死んだ人のことを仏様と呼ぶ日本の文化はあながち間違ってはいない。ただ仏といっても菩薩や如来と様々である。禅定の肉体を伴いながら意識を解脱へと向かわせる修行者の境涯を声聞とも言うし、修行で解脱に至った境涯を縁覚とも言う。
その仏の世界観(四聖)を詳しく説き明かしているのが「空」である。(※ 四聖=声聞・縁覚・菩薩・仏)
人間の世界観は主観と客観からなる。初期仏法ではそれを真諦と俗諦という言葉で表現する。そして真理(悟り)を縁起として人間の世界観を説き顕す。
<人間の世界観“仮”>
客観---俗諦 (世間法)
主観---真諦 (仏法)
中観---縁起 (真理)
それに対し仏の世界観は、
<仏の世界観“空”>
仮観---因果縁起 因縁説周
空観---比喩蓮華 比喩説周
中観---当体蓮華 法説周
となる。因縁説周・比喩説周・法説周は法華経釈門で説かれる「三周の説法」のことで、
仮観---因縁説周 仮諦の一念三千
空観---比喩説周 空諦の一念三千(理の一念三千)
中観---法説周 中諦の一念三千(事の一念三千)
となる。仏法で説く「空」とは、ここで示す「仏の世界観」を顕している。そして宮本武蔵の「五輪の書」の最後のテーマがこの「空」である。
しかし、その最後の章は未完の章で終わっている。