宮本武蔵
アドバンは空観寺に戻ると、鉄道模型店で買ってきたお気に入りのFEF-3蒸気機関車を取り出し、ジオラマの上にセットして走らせた。精密に作り込まれた線路の上を滑るように走る機関車。彼はそれを無言で眺めながら、どこか心が穏やかになるのを感じていた。リクライニング・チェアに身を沈め、じっくりと走行する列車を見守りながら、次第にその空間に身をゆだねていった。静かな心地よさに包まれ、やがてアドバンは深い眠りに落ちていった。
その眠りの中、アドバンはふと気づくと、再び柳生の里に立っていた。だが、この柳生の里は今の時代のものではなく、兵庫が生きていた時代の柳生の里だった。
「武蔵、また遊びに来たか」
兵庫が嬉しそうに、武蔵とともに酒を交わしていた。アドバンはその光景に、何とも言えない懐かしさを覚えた。
「武蔵、剣術は楽しいか?」
兵庫にそう聞かれた武蔵は、少しの間黙って考え込み、過去を振り返るように目を閉じた。宮本村を出て、名を上げるために必死で戦ってきた。戦いの中で何人も斬り倒してきた。負ければ命を落とし、手段を選ばず戦ったこともあった。時には砂を相手の顔に浴びせ、時には相手の腕を噛みついたこともある。生きるか死ぬかの殺し合いを何度も繰り広げてきた。
「剣術、楽しいかって?」
武蔵は静かに呟いた。彼は今までの戦いを思い返し、そこで感じたものを言葉にしようとした。
「楽しいというより…、生きるか死ぬかの中で、剣を振ることがただの生き様になっていた。倒した相手の娘に『お父さんを帰して!』と石を投げられたことも、兄の仇を討とうと短刀を持って襲ってきた青年もいた。毎晩、殺した相手の家族や親が呪うように現れる…そんな顔にうなされ、心が安らぐ日なんて無かった。」
兵庫は静かに聞いていた。武蔵が続ける。
「でも、柳生の道場で、十兵衛やお前と打ち合う剣術は違った。あの剣術は、心の闇が晴れ、清々しい気持ちで心地よい汗をかける。そして、ただ無心に竹刀を振ることで、時間があっという間に過ぎていく。無心で剣を振り、気づけば道場の真ん中で疲れ果てて、大の字になって天井を見上げている。」
兵庫は優しく微笑んだ。
「それが剣術の真髄だな、武蔵。」
その瞬間、どこからともなく声が聞こえてきた。しょぼくれた、しかし深い意味を持つ声だった。
「我に生きるな 無心に生きろ」
その声は、今は亡き柳生石舟斎のものだと思い、武蔵は心の中で「じいさん」と呼びながら聞いていた。あの声が、今でも彼の心の中で生き続けているのだ。
「じいさん、剣術って何だ?」と、武蔵は声を発した。
最初は返事はなかった。しかし最近、少しずつその答えが武蔵の心に浮かんでくるようになった。
「心じゃよ。 剣術は心」
その答えに、武蔵はふっと息を飲んだ。
「武士の魂?」
その瞬間、アドバンの体がぴんと引き締まり、目を覚ました。どうしても雄一朗の顔が浮かんだ。
「また雄一朗さんに会いたいな…」
アドバンは心の中でそうつぶやくと、ジオラマで走り続けるFEF-3蒸気機関車を眺めた。無心でその動きを楽しみながら、彼の心は再び静けさを取り戻していった。
この章では、アドバンが夢の中で武蔵の過去と向き合い、剣術の真髄を理解していく過程を描いています。兵庫との会話を通じて、武蔵が剣術の本質を追求してきたことを、アドバンの視点で再構築しています。また、「無心に生きる」という言葉が、アドバンにとっても何か重要な意味を持ち始めるシーンです。