~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

小説創作用チャットGPT / 58

98 コメント
views
58
法介 2025/01/12 (日) 06:42:26

納得はしていないが、取り合えず次に進もう。

これも良い感じで仕上げてくれ。

柳生宗章

十兵衛の父、柳生宗矩は、徳川家康に将軍家の兵法指南役として召し抱えられ、大和柳生藩初代藩主となり剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。

その宗矩には宗章という兄がいて、宗矩と共に徳川家康に召されたが宗章は仕官せず、武者修行の旅に出た。その後、小早川秀秋に召抱えられ関ヶ原の戦いでは秀秋に近侍して警護の任にあたった。

やがて小早川家は改易され、宗章は伯耆国米子藩の中村一忠の執政家老・横田村詮に客将として迎えられる。村詮は、家老として優れた実力の持ち主だったが、彼を妬む同僚の策略で謀殺される。

すると村詮の子、横田主馬助を総大将として横田家の遺臣二百余名が飯山城に立て籠もり、宗章も横田家への恩義に報いたいと横田方に加勢した。

吹雪の中、数本の刀を差して無双乱舞を繰り出しまくった柳生宗章だったが、敵兵18名程を切り倒したところで用意した刀が全て折れ、最後は敵軍へと突撃して壮絶な戦死を遂げた。若干37歳だった。

宗矩が剣術に仏法の教えを取り入れて剣禅一如の柳生の剣を完成させていった影には、そういった兄宗章への哀惜の念もあったであろう。

その話を和尚から聞いたアドバンは、唱題の時、宗章の事で頭が一杯だった。どんな人物だったのか、どんな剣を繰り出したのか、どんな戦いだったのか、様々な宗章に関わる事が頭に浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返していた。

座禅や瞑想では、修行中考え事はご法度である。しかし、日蓮法華道における勤行では、日頃の悩みや気になる事を考えながらお題目を唱えていく。唱えていくうちに「はっ!」と閃くことがある。
それを「自体顕照」という。「自らの体を照らし顕す」という意味で、御本尊という「境」に照らされて自らの体が智慧として顕われることを言う。日蓮はそのことを、

「境の淵ほとりなく、深き時は智慧の水ながるる事つつがなし」

と、御本尊の仏の十界という深い淵を、水がなぞる様に沿って流れていくように、凡夫の煩悩が仏の智慧を借りて悟りへと転じていく「煩悩即菩提」の姿であると言う。

アドバンは唱題の中で「はっ!」と閃いた。柳生の里を始めて訪れたさい、真兵衛と交わした握手の場面が脳裏をよぎった。あの時の物凄い存在感。きっと柳生宗章という人物も真兵衛と同じような存在感を放つ人物なんだろうとアドバンは思った。気がつけばその夜、武蔵として、伯耆国米子藩にいた。

通報 ...