~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

小説創作用チャットGPT / 60

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法介 2025/01/12 (日) 07:22:14

次ももっといい感じに著色してくれ。

伯耆国(ほうきのくに)は、現在の鳥取県の中・西部で、東を因幡、西を出雲、南は美作・備中・備後に接し、北は日本海に面している。

標高90mの小高い湊山に約500年前に築かれた飯山城は、出雲の国境の重要な砦で戦国時代には、尼子氏と毛利氏が熾烈な奪い合いを繰り返した重要な拠点であった。
山頂には本丸、その下に二の丸、三の丸が二段の石垣で築きあげられている。石垣の規模からしても、そこそこの規模のお城であったであろう本丸には、天守の礎石の跡が残っている。そこからは、米子の街を一望することが出来る。
米子藩筆頭家老、横田村詮は柳生宗章よりも14程歳は上であったが宗章の古い弟子にあたる。村詮は主君中村忠一に宗章を推挙して召し抱えを願うつもりだった。しかし、若干14歳の少年だった忠一は、歯に衣着せず意見をいう村詮を日頃から煙たがっていた。そこに一忠の側近である安井清一郎、天野宗杷らが村詮の優れた才覚を妬み、幼い藩主一忠を言いくるめ、慶事の際に村詮を亡き者にしようと陰謀を企て殺害した。村詮享年52歳であった。

それに激怒した村詮の子、横田主馬助と横田家に仕えていた家臣二百余名が主馬助を総大将として飯山城に立て籠もった。

柳生宗章は従者の森地五郎八と共に村詮から客将として招かれていた。主馬助は宗章を客将であることを理由に飯山城から辞去するよう勧めた。

「宗章殿ほどの腕なら、どの城下町でも道場を開き、柳生新陰流の看板を掲げることが出来きます
こんなところで命を落とさせるようなことがあっては、父上に申し訳が立ちません」

主馬助は一族全滅を既に覚悟していた。それゆえに客将であり亡き父の剣術の師匠でもある宗章を巻き添えにはしたくなかった。
しかし、愛弟子の息子を見捨ててゆくことは宗章には出来なかった。

慶長8年11月15日

夜を徹して篝火が焚かれていた。

既に早朝であるはずなのに、あたりはまだ薄暗かった。

焚火のそばで暖を取りながら横になっていた宗章のほほに吹雪が当たる。

「そろそろのようです」

従者の森地五郎八が焚火の灯りに照らされ、どこからともなく現れ宗章に呟いた。

「そうか」

宗章は武者草鞋の紐を固く結び直し、天空を仰いだ。

吹雪は一層激しく宗章のほほを打つ。

横に置いてあった槍を手に取ると宗章は、勢いよく陣から飛び出し駆け出した。主人の後を追って五郎八も駆ける。宗章の背中は今まで五郎八が見たこともない程の熱気と闘争心で覆われ殺気がみなぎっていた。

「何人の死者がでるだろう・・・」

五郎八は相手方の死者数が莫大なものに上がるであろうと思わず身震いした。

米子藩の兵士達にとっては、かつて経験したことのない凄まじい戦いだった。十倍の数を誇る藩兵の方が、柳生宗章を先頭とするたかだか一握りの集団に翻弄され攪乱されていた。

藩主中村方の将兵だけでは鎮圧ができず、出雲国の堀尾氏へ援軍を要請していた。

堀尾氏の軍勢が到着すると正門、大手門玄関口から中村方が、搦手の裏門台所口からは堀尾方が挟み撃ちする形で攻防戦が繰り広げられた。

中村方の先方武将、矢野助之進が率いる軍勢を大手門を背にして十文字槍を小脇に抱えた宗章が迎え撃つ。

「いざ、参られれい!」

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