~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

小説創作用チャットGPT / 78

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法介 2025/01/12 (日) 12:13:30

この部分は、自分で書くよ

書いた奴の仕上げをお願いする。

取り合えず先に進もう。

次の章は区切り個所がむずいので取り合えず章全体を紹介する。

適当な個所で区切って仕上げてくれていいから。

地水火風空

加藤清正が関ヶ原の戦いの行賞により、家康より肥後一国52万石を与えられ熊本藩主となり、1606年(慶長11年)日本の三大名城と言われる熊本城を築いた。

日本の城を初めて訪れたアドバンは、感慨無量だった。
初めて来た熊本城であったが、どこかしら懐かしさを感じる不思議な感覚。宮本武蔵は他界する最後の5年をここ熊本の地で過ごしていた。

加藤家は二代藩主の加藤忠広が改易させられ、小倉藩主だった細川忠利がその後を受け熊本藩主と成る。武蔵は57歳の時、その忠利に招聘され格別の待遇で熊本に迎えられた。

そして雲巌禅寺の裏山にある霊巌洞に1年余こもってあの有名な兵法書「五輪の書」を著した。

薄暗く、冷たい空気が張り詰める霊巌洞に入ったアドバンの眼には、そこで禅を組み深い瞑想に入る年老いた宮本武蔵の姿が観えた。

来日して真兵衛に薦められて和英版の「五輪の書」も読んでいた。地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻と仏法で説く「地水火風空」の五智にちなんで書かれた武蔵直伝の兵法の奥義書である。

読み終えて、巌空和尚に「地水火風空」について説法を願い出た。

「宮本武蔵の五輪の書の五輪は、地水火風空じゃが、
 これは仏法の中で説かれる五つの智慧を意味しとってな」

和尚はそういって、日蓮の『阿仏房御書』の一説を読んで聞かせた。

「末法に入つて法華経を持つ男女の姿より外には宝塔なきなり。若し然れば貴賤上下を選ばず南無妙法蓮華経と唱うるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。  法華経の題目、宝塔なり。宝塔又南無妙法蓮華経なり。
  今、阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」
『阿仏房御書』

また、『三世諸仏総勘文教相廃立』の一説も紹介した。

「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う。只一物、経経の異説なり。内典、外典、名目の異名なり。今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり。是則ち妙法蓮華経の五字なり」
『三世諸仏総勘文教相廃立』

これらの文の中で、「地水火風空」とは、「妙法蓮華経」の五字であり、その題目を唱える修行者の姿そのものであると日蓮は言っている。

具体的には、「妙法蓮華経」の五字は、五仏・五智の如来の種子であると。

五仏・五智は、インド仏教における唯識学で説かれる内容で、人間の認識作用を「九識論」として次のような内容で説いている。

前五識(第一識~第五識)

これは人間の五感である眼、耳、鼻、舌、身をそれぞれ眼識、耳識、鼻識、舌識、身識といった呼び名で、第一識から第五識とする感覚作用として働く認識器官のことで、これを成所作智(じょうそさち)と言う。

成所作智は、認識器官を正しく統御し、それらによって得られる情報をもとに、現実生活を悟りに向かうべく成就させてゆく智慧である。

第六識(意識)

その認識器官に基づいて行動や判断をこなう意識で妙観察智(みょうかんざっち)と言う。

妙観察智は、万物がもつ各々の個性、特徴を見極め、その個性を活かす智慧である。

第七識(末那識)
第六識の意識下にある無意識で、「自我意識」を形成する。我見、我愛、我慢、我痴、などの元になる自己中心的な差別の心。その我執(自我への執着)が除かれた聖位においては、自他の差別のない平等性智へと転じる。

平等性智は、無我の境地に入って全てを平等に見る智慧である。

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