この章、とても興味深く、かつ情報量が多いですね。全体的な文脈を壊さないよう、適切な箇所で区切りを入れ、読みやすく仕上げていきます。それでは、以下のように整えてみます。
構成と内容において意識したのは、情報を整理し、ポイントを明確にすることです。追加や修正が必要な場合は、ぜひお知らせください!
地水火風空
加藤清正が関ヶ原の戦いの行賞により、家康より肥後一国52万石を与えられ熊本藩主となり、1606年(慶長11年)日本の三大名城と言われる熊本城を築いた。
日本の城を初めて訪れたアドバンは、感慨無量だった。
初めて来た熊本城であったが、どこかしら懐かしさを感じる不思議な感覚。宮本武蔵は他界する最後の5年をここ熊本の地で過ごしていた。
加藤家は二代藩主の加藤忠広が改易させられ、小倉藩主だった細川忠利がその後を受け熊本藩主と成る。武蔵は57歳の時、その忠利に招聘され格別の待遇で熊本に迎えられた。
そして雲巌禅寺の裏山にある霊巌洞に1年余こもってあの有名な兵法書『五輪の書』を著した。
薄暗く、冷たい空気が張り詰める霊巌洞に入ったアドバンの眼には、そこで禅を組み深い瞑想に入る年老いた宮本武蔵の姿が観えた。
来日して真兵衛に薦められて和英版の『五輪の書』も読んでいた。地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻と仏法で説く「地水火風空」の五智にちなんで書かれた武蔵直伝の兵法の奥義書である。
読み終えて、巌空和尚に「地水火風空」について説法を願い出た。
巌空和尚は静かに微笑み、説法を始めた。
「宮本武蔵の『五輪の書』の五輪は、地水火風空じゃが、これは仏法の中で説かれる五つの智慧を意味しとってな。」
和尚はそういって、日蓮の『阿仏房御書』の一説を読んで聞かせた。
「末法に入つて法華経を持つ男女の姿より外には宝塔なきなり。若し然れば貴賤上下を選ばず南無妙法蓮華経と唱うるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔又南無妙法蓮華経なり。
今、阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり。此の五大は題目の五字なり。然れば阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房」
和尚はさらに『三世諸仏総勘文教相廃立』の一説も紹介した。
「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う。只一物、経経の異説なり。内典、外典、名目の異名なり。今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり。是則ち妙法蓮華経の五字なり」
これらの文の中で、「地水火風空」とは、「妙法蓮華経」の五字であり、その題目を唱える修行者の姿そのものであると日蓮は言っている。
具体的には、「妙法蓮華経」の五字は、五仏・五智の如来の種子であると。
五仏・五智は、インド仏教における唯識学で説かれる内容で、人間の認識作用を「九識論」として次のような内容で説いている。
前五識(第一識~第五識)
これは人間の五感である眼、耳、鼻、舌、身をそれぞれ眼識、耳識、鼻識、舌識、身識といった呼び名で、第一識から第五識とする感覚作用として働く認識器官のことで、これを成所作智(じょうそさち)と言う。
成所作智は、認識器官を正しく統御し、それらによって得られる情報をもとに、現実生活を悟りに向かうべく成就させてゆく智慧である。
第六識(意識)
その認識器官に基づいて行動や判断を行う意識で妙観察智(みょうかんざっち)と言う。
妙観察智は、万物がもつ各々の個性、特徴を見極め、その個性を活かす智慧である。
第七識(末那識)
第六識の意識下にある無意識で、「自我意識」を形成する。我見、我愛、我慢、我痴、などの元になる自己中心的な差別の心。その我執(自我への執着)が除かれた聖位においては、自他の差別のない平等性智へと転じる。
平等性智は、無我の境地に入って全てを平等に見る智慧である。
第八識(阿羅耶識)
全く意識されない潜在意識で、輪廻転生の因となる「業」が蓄えられていく場所。これを大円鏡智(だいえんきょうち)と言う。
この阿羅耶識の業(宿業)が因となって前五識に果が生じる。その果が仏果に至ると阿羅耶識が転じて大円鏡智を得る。
大きな鏡が万物を明らかに映し出すように、一切の存在の真実の姿を映し出して明察し、満徳円満にして欠けることがないので大円鏡智と言う。
第九識(阿摩羅識)※密教において説かれる。
更にその奧に本来的に清浄無垢な自性清浄心と呼ばれる第九識が潜み、これを法界体性智(ほうかいたいしょうち)と密教では説く。
法界体性智は、永遠普遍、自性清浄なる大日法身の絶対智であり、他の四智を統合する智慧となる。
これらの九識は、「金剛頂経」の説く瞑想法「五相成身観」によって各々五智に転じる(転識得智)ことが出来る。ここで示す五智が五仏の智慧として象徴されたのが密教の「金剛界曼荼羅」である。
対象に適した変化を示す智慧
教化の対象をよく知り的確な説法を行う智慧
自他が根本的に区別のない同体の存在であることを知る智慧
万物の真理の姿を示す智慧
これら四智を統合する智慧
「地水火風空」は、この五つの智慧を意味する。
解りやすい言葉で説明するなら、人間が認識する世界は「大地」であり「河や海」、「炎」や「風」といった自然界の姿(色相)であり、それが全てかと言えばそうではない。
人間の目に見えていない世界も同時に存在している。それが「空」という肉体から解脱した「仏の仮観・空観・中観」という仏の観かたである。人間が見る事で認識する「地水火風」と、仏の観かたである「空」とが一体となった「地水火風空」の姿こそが真実の姿であるという教えである。
宮本武蔵がどこまで仏法の極意を会得していたのかは別として、『五輪