法介
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2025/01/12 (日) 17:11:05
<最終章 アメリカの歌>
日本の武士は、古くは鎌倉時代から歌を詠んできた。
歌には、「もののあわれを知る」といった四季の情趣を楽しむ風情がある。
「もののあはれ」という言葉は、
短歌や俳句好きな人なら知らない人はいないと思う。
江戸時代の中・後期の国学者である本居宣長が
「もののあはれ」の論を展開し、
そのことが今日の教科書に載って、
「もののあはれ」という言葉が現代語のなかに継承されている。
しかし、
宣長が本来論じている「もののあはれ」とは、
そうした四季の情趣に留まらない、
日常生活のやりくりにまで及ぶもので、
「人の心の動くさま、感じるさま」を言う言葉であったものが、
いつのまにかこれに「哀」の字を充てて
特に悲哀の意に使われるようになったと彼は言う。
さらに宣長は言う、
「うれしきこと、おもしろき事などには、
感ずること深からず、ただかなしき事、
うきこと、恋しきことなど、
すべて心に思ふにかなはぬすぢには、
感ずること、こよなく深きわざなるが故」
心が行為のうちに解消し難い時、
心は心を見るように促され、
生活感情の流れに身をまかせ、
ある時は浅く、ある時は深く、
おのずから意識される。
そういう生活感情の本性への見通しなのである。
こういった彼の論述は、
感情論よりむしろ認識論的な色合いを強く帯びており、
彼の課題は、「物のあはれとは何か」ではなく、
「物のあはれを知るとは何か」にある。
宣長による源氏物語の注釈書である『紫文要領』には、
次のような記述もある。
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