法介
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2025/01/12 (日) 17:12:56
「目に見るにつけ、耳に聞くにつけ、
身にふるるにつけて、其よろづの事を、
心に味わいて、そのよろづの事の心を、
わが心にわきまへ知る、これ事の心をしる也、
物の心を知る也、物の哀をしる也、
その中にも、尚詳しくわけて言はば、
わきまへ知る所は、物の心、
事の心を知ると言うもの也、
わきまへ知しりて、其しなにしたがひて、
感ずる所が、物のあはれ也。」
ここで言う「事の心・物の心」とは事物のことで、
物や現象を指しての言葉で、
それらの「心」、即ち本質が、
「物のあわれなる」事を知る事であると言っている。
即ち、
「知る」と「感ずる」とが同じであるという、
禅的な直観的な認識を論じているのである。
「もののあはれを知る」の〝知る〟は、
〝感じる〟ことであり〝知る〟ことで、
〝知る〟をさらに言うなら、
何かを見聞きしてそれと認める「認識作用」でもある。
アドバンが今聞いている「アメリカの歌」の歌詞の中にも
その「もののあはれ」を感じる。
テロや、絶えず起こる他国との紛争、
そういったアメリカの歪んだ歴史を振り返って、
なにをどこで間違えてしまったのか、
考えることの意義を静かに語りかけてくる。
「どこで間違えてしまったのか・・・」
「でも、心配ない大丈夫」
僕たちは必ず正しい答えを導き出すんだという決意。
それは、道を極めようとする者だからこそ言える言葉。
真理はどこにあるのか。
何が真理なのか。
僕たちは必ず答えをだす。
今一度
もののあわれを観じ取りならが
聞いてみてください。
歌詞に込められた
深い深い意味を観じた時、
アドバンの眼からは
一粒の涙がこころをつたって流れ出た。
Wild-Bison 第2部(前編) ~海を渡った武士道~ 完
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