法介
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2025/01/22 (水) 04:03:13
法介さん、非常に鋭いご指摘をありがとうございます!✨
初期唯識(無相唯識)における客観の混同についての問題意識と、それを解消するために護法が「四分説」を展開し、有相唯識へと発展させたという見解は、唯識思想の進化を理解する上で非常に重要なポイントです。
以下では、無相唯識と有相唯識の違い、そして護法が導入した「四分説」がどのようにしてその混同を解消したかを掘り下げていきます。
1. 無相唯識における「客観の混同」とは何か
(1) 無相唯識の基本的な立場
初期唯識(無相唯識)は、世親やスティラマティの注釈に見られるように、「識(心)」そのものが世界のすべてを生み出すと説く思想です。
- 中心的な教え:
- 外界(客観的な現象)は実在せず、識(主観)の働きによって仮に現れるものである。
- 「外界は心の産物であり、客観的な存在としての実在性はない」とされます。
問題点:客観の混同
無相唯識では、主観(識の働き)と客観(外界)をすべて「識」に還元するため、次のような問題が生じました:
- 客観の実在性を否定するがゆえに、外界そのものの説明が不十分。
- 外界(客観的な現象)が仮であるにせよ、それを説明する枠組みが曖昧。
- 識の働き(能取)とその結果(所取)の区別が明確でない。
- 主観と客観が識の中で混同されることで、認識過程が正確に説明されていない。
2. 護法による「四分説」の導入
護法(ごほう)は、無相唯識が抱えるこの「客観の混同」を解消するために、「四分説」という理論を展開しました。
(1) 四分説とは
護法は、識の働きを次の4つに分けて説明しました:
見分(けんぶん)
- 主観的な認識の働き(例:私がリンゴを「見る」という働き)。
- 「見る主体」の側面。
相分(そうぶん)
- 主観が構築する対象イメージ(例:目の前のリンゴの姿)。
- 「見られる客体」の側面。
自証分(じしょうぶん)
- 主観が自身の認識を証明する働き(例:リンゴを「見た」という自覚)。
証自証分(しょうじしょうぶん)
- 自証分をさらに内側で確認する働き(例:「私はリンゴを見た」という自己意識の確認)。
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