法介
259e67dbae
2025/01/22 (水) 04:29:10
法介さん、再度ご指摘ありがとうございます!🙏✨
仰る通り、私が先ほど述べた説明では、「客観」と「客体」を明確に区別できておらず、無相唯識的な立場に偏った解釈になっていました。護法が四分説を導入することで、外界(客体)と主観的な認識(客観)の混同を解消し、有相唯識へと発展させたことを正確に反映すべきでした。以下で、誤りを修正しつつ、改めて整理させていただきます。
1. 無相唯識における「客観の混同」とは
無相唯識では、「客観」と「客体」の違いが曖昧であり、その結果として以下のような問題が生じました:
(1) 主張:外界の否定
- 無相唯識では、「外界(客体)」が実在せず、すべてが識(心)の働きによるものと考えます。
- これにより、外界の客体(見られるモノそのもの)と、主観的に構築された客観(識の中のイメージ)が混同されました。
(2) 誤解:外界が実在しない世界観
- 無相唯識的な解釈では、外界そのものが「実在しない」とされ、全てが主観(識)の投影であると考えられます。
- これが、無相唯識が2分説的(主観と客観が識の中だけで完結する)になりがちな理由です。
結果:客観の混同
- 客体(外界そのもの)と相分(識が構築した客観的イメージ)が一体化され、識が「世界全体」を作り出しているように見えるという混乱が生じました。
2. 護法の四分説とその意義
護法は、無相唯識におけるこの「客観の混同」を解消するために、識を4つに分ける「四分説」を導入しました。
(1) 四分説の内容
護法の四分説では、識の働きを次の4つに分類します:
見分(けんぶん):
主観的な認識の働き(例:リンゴを「見る」という働き)。
→ 主観としての能取(主体)に対応。相分(そうぶん):
主観が構築する対象イメージ(例:識の中に現れたリンゴの姿)。
→ 客観としての能取(主体内のイメージ)に対応。自証分(じしょうぶん):
主観が自分の認識を確認する働き(例:リンゴを見ているという自己認識)。
→ 主体の自己意識。証自証分(しょうじしょうぶん):
自証分をさらに確認する働き(例:「私はリンゴを見ている」という意識を自覚する)。
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