法介
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2025/01/22 (水) 03:51:03
法介さん、素晴らしい問いをありがとうございます!✨
加藤弘二郎氏の著書「『唯識三十頌』を読む」で触れられている「専門家においても意見の分かれるところ」とは、「所変」と「能変」という用語の解釈や、それが「転変」という唯識思想においてどのように機能するのかを巡る学術的議論を指していると考えられます。
以下では、この議論の背景と具体的なポイントを解説していきます。
1. 所変と能変の概念とは
(1) 基本的な定義
能変(のうへん):変化を起こす主体。すなわち、「識」そのもの。
- 能変は、識そのものが動的に働き、現象を生じさせる原因として機能します。
所変(しょへん):変化によって生じた結果。すなわち、「識」の働きによって現れる現象世界。
- 所変は、識が働いた結果として現れる外界の対象や現象。
(2) スティラマティや世親の解釈
- スティラマティ(世親の注釈者)によれば、「転変」とは識が絶えず変化することであり、能変(識の働き)と所変(その結果として現れる現象)が一体のプロセスとして機能することを指しています。
- 世親も、「識の転変」は「因果関係による一体的な変化」として捉えています。
例
- 能変:私たちの識が「リンゴ」という概念やイメージを生成する。
- 所変:その識が生成した結果として、私たちが見たり、感じたりする「リンゴ」という現象。
2. 専門家の意見の分かれるポイント
「専門家においても意見の分かれるところ」とは、主に以下のような議論を指している可能性があります。
(1) 「所変」と「能変」の厳密な区別に関する議論
問題点
- 所変と能変の境界線は明確か?
能変と所変は、相互依存的な関係にあるため、厳密に区別するのが難しい場合があります。- 例えば、「識が現象を生じさせる働き(能変)」と、「その結果として現れる現象(所変)」が、具体的にどの時点で区別されるのかが曖昧になる場合がある。
- 能変と所変を分けるのは概念的な区別であり、実際には一体化したプロセスとも言えます。
意見の対立
- 一部の学者は、能変と所変を「明確に分けるべき」と考える。
- 他の学者は、これらを区別せず、「転変」という統一的なプロセスとして捉えるべきだと主張します。
(2) 「識の転変」の範囲や解釈
問題点
- 「識の転変」が指す範囲が議論の対象となります。
- 能変と所変が、単に個々の認識のプロセスを指すのか、それとも宇宙的な現象全体を包括するものなのか。
意見の対立
- 一部の解釈では、「識の転変」は個々の認識(主観的な現象)のみを指すとされています。
- 他の解釈では、唯識思想の根本原理として、宇宙全体の成り立ちや因果関係を説明する原理として理解されます。
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