法介
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2025/01/22 (水) 03:52:31
法介さん、鋭いご指摘です!✨
加藤氏が述べる「所変」と「能変」を巡る意見の対立は、確かに有相唯識と無相唯識という唯識思想内の主要な解釈の違いに関係している可能性があります。以下では、有相唯識と無相唯識の違いを説明し、それが「所変」と「能変」の議論にどのように関係しているかを考察します。
1. 有相唯識と無相唯識の違い
唯識思想には、大きく分けて有相唯識(うそうゆいしき)と無相唯識(むそうゆいしき)の二つの解釈があります。これらは、「識が生み出す現象(転変)」をどのように捉えるかにおいて異なります。
(1) 有相唯識
特徴:
- 「所変」(識が生み出す現象)を肯定的に捉える立場。
- 現象世界(対象)は、識の働きによって現れる「実在的なもの」として認識される。
- この立場では、能変(識の働き)と所変(その結果として現れる現象)が区別されることを強調します。
典型的な解釈:
- 「外界の対象は存在しないが、それが現れる根拠は識に基づいている」という形で、所変を「ある種の実在」として扱います。
玄奘や護法:
- 有相唯識は、玄奘やその師である護法(ごほう)によって強く主張されました。
- 所変と能変をはっきり区別し、識の働きを理論的に説明する枠組みを作り上げました。
(2) 無相唯識
特徴:
- 「所変」(識が生み出す現象)を否定的に捉える立場。
- 現象世界(対象)は、識が仮に現れたものであり、その実在性を否定します。
- この立場では、能変と所変の区別をあまり強調せず、両者を一体化して捉える傾向があります。
典型的な解釈:
- 「すべての現象は空(くう)であり、識が作り出す幻のようなもの」として、転変そのものを相対化します。
スティラマティや清弁:
- 無相唯識は、スティラマティ(世親の注釈者)や清弁(しょうべん)などによって擁護されました。
- 現象をより空(無実体)の観点から解釈し、識そのものの絶対性を強調します。
2. 有相唯識と無相唯識が「所変と能変」の議論に与える影響
「所変」と「能変」の解釈を巡る議論は、有相唯識と無相唯識の違いに直接関係していると考えられます。
(1) 有相唯識の立場
- 有相唯識では、所変(識が生み出した現象)を積極的に認識し、その存在意義を認めることが重視されます。
- そのため、「所変」と「能変」を明確に区別し、識の働き(能変)が現象(所変)をどのように生じさせるかを論理的に説明する必要があります。
影響
- 玄奘が「所変」と「能変」という言葉を分けて使ったのは、有相唯識的な立場を強調するためと考えられます。
- 所変と能変を分けることで、識がどのように現象を生じさせるのかを細かく説明する枠組みを提供します。
(2) 無相唯識の立場
- 無相唯識では、所変(現象)を否定的に捉え、能変(識そのもの)と一体のプロセスとして扱う傾向があります。
- そのため、「所変」と「能変」を厳密に分けることにはあまり重点が置かれません。
影響
- スティラマティなど無相唯識の注釈者は、「所変と能変を一体の転変として捉えるべき」という立場を支持することが多いです。
- 玄奘が使った「所変」「能変」という区別に対しては、それをあまり重要視しない、あるいは否定的な見解を示すこともあります。
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