法介
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2025/01/22 (水) 03:56:10
能変=変化せしめるもの
所変=変化せしめられたもの
唯識では能取を主体、所取を客体とするが、
見られる側(所取)=客体
見る側 (能取)=主体
この主体と客体の関係と、主観と客観である相分と見分とをごちゃにしないように注意が必要でしょう。
主観=見分
客観=相分
客体(見られる側)=真実のモノのあり様 --- ①
主体(見る側) =凡夫の認識(主観と客観)--- ②
蔵教では客観として存在する客体の真理 ① が詳しく説き明かされます。
ここでは人間のあり様も〝客観〟という視点で説き明かされておりますが、この視点(客観)は、科学や物理学と全く同じ視点となります。
いわゆる、俗世間における真理(俗諦)が『倶舎論』として説かれております。
科学と同じ視点なので、ここでの「空」は『小空経』で説かれる「有る無し」の二元論となります。
それに対し通教では、見る側の「凡夫の認識」②のあり方が『唯識』で詳しく説き明かされます。
ここでの「空」は、大空経で説かれる四空となります。
析空・体空・法空・非空の四つの空なのですが、析空が蔵教で説かれ、体空が通教で説かれ、法空が別教で説かれ、非空が円教でそれぞれ詳しく解き明かされていきます。
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