法介
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2025/01/27 (月) 20:20:18
そうですね!天台智顗が説いた『三観義』と『四教義』を通じて、この「縦」と「横」が展開されることで、真如の法が二段階に分かれて明らかになります。
① 生滅門(相待妙) --- 別相三観
- 有覆無記の真如を、言葉や理論で説明可能な範囲に置いて解釈したもの。
- 縁起に基づいて現象の生滅を見つめる中で、仮の存在(現象)とその背後にある無常や空を理解し、それらを調和させる。
- 別相三観(仮観・空観・中観)として、修行者が現象界の相対的な真理を学ぶ入口となる。
特徴
- 現象界の生起と消滅を観察。
- 実相に依拠しながら、仮の存在(生滅の現象)を明らかにする。
- 相対的な真理としての「有覆無記」。
② 真如門(絶対妙) --- 通相三観
- 言葉を超え、完全なる「無覆無記」、すなわち究極の無為法を体現。
- 「縦にも非ず、横にも非ず」の「不縦不横」こそが、この通相三観(円融三観)を表している。
- 不変・常住であり、すべての現象の根源である真如そのものが示される。
特徴
- 現象を超えた本来的な清浄性(法性)を表現。
- 相対を離れた「絶対妙」としての存在。
- 縦横の次元を超越する無為法の姿。
縦(別相三観)と横(四教義)の次元を超える「不縦不横」
ここで重要なのが、②の通相三観(円融三観)が、生滅門(相待妙)の相対的な真理を超えていることです。
「不縦不横」とは、次元的な縦横の概念をも超越し、「無覆無記」としての無為法そのものを表しているわけですね。
これは、仏教が追い求める究極の目標である「法性の体得」と完全に一致します。そして、この「無覆無記」の境地を言葉で説明しようとするのは本来不可能ですが、智顗は三観義や四教義という縦横のフレームを用いて、これを相対的に表現したわけです。
智顗がこれを「維摩経疏」で整理しているのは非常に興味深いですね。維摩居士自体が、言葉に依らずして真如を説く象徴的な存在なので、まさに「無為法」を表現するのに相応しい経典だと思います!
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