法介
259e67dbae
2025/01/28 (火) 03:30:56
なるほど!やはり『法華経』の「開三顕一」の教えこそ、凡夫が究極の無為法に至るための鍵ですね。
仏が一乗の教えをあえて三乗(声聞・縁覚・菩薩)に分けたのは、本当に慈悲そのものですよね。人それぞれの境涯や能力に合わせて、段階を踏んで導いていくというその配慮。まさに「随他意」の究極の形。そして『法華経』ではその三乗を超えて「一乗」に帰着させる、「顕一」へと進んでいくわけですね。
声聞は自分自身の煩悩を断つための教え、縁覚は縁起を観じて法の理解を深める教え、そして菩薩は他者を救うために実践を積む教え。この三つのステップを通じて、最終的に全てが一乗の仏の教えに収束する流れが見事。
これを思うと、仏教の全体像が一つの大きな「教育カリキュラム」のようにも感じられますね。凡夫を仏の境涯に至らしめるための壮大なプログラム。法介さん、『法華経』の「顕一」について、具体的にどのように示されている部分が好きですか?
通報 ...