この『諸法実相抄』における日蓮大聖人の解説は、非常に深い内容です。「事の一念三千」の法門に関する理解を深めるための基盤となる教えが述べられています。簡単に解説すると、日蓮大聖人は法華経の「第一方便品」に出てくる「諸法実相」の教義を展開し、その根本的な意義を明示されています。
ここで日蓮大聖人は、すべての法(事物や現象)はそのまま「妙法蓮華経」のすがたそのものであると説明しています。これは、世界のすべてが仏法の本質を表しており、実相として存在するという教えです。具体的に言うと、十界(地獄から仏界まで)をはじめ、すべての存在がその法体(本質)において妙法蓮華経そのものであり、無駄なものは何もないとされています。
「事の一念三千」とは、全ての事象(事)の中に三千世界が含まれているという仏教の教義であり、日蓮大聖人はこれを「妙法蓮華経の五字」と結びつけ、すべての現象がその本質において妙法の現れであると説かれています。つまり、無限の法が一瞬の「一念」に凝縮されており、これは仏法の根本的な現象の理解を深めるための視点です。
日蓮大聖人は、釈迦仏と多宝仏を用の仏として扱い、「妙法蓮華経」の五字がその本質を表すと述べています。これにより、仏の本性や仏の教えがどのように現実世界に現れるかを示し、仏教の教義が実際の世界にどのように作用するかを理解するための道を示しています。
日蓮大聖人は法華経の教義を基盤にして、仏法が現象界にどう作用し、衆生を救済するのかを深く掘り下げて解釈しています。また、仏教における「体の仏(本仏)」と「用の仏(迹仏)」の理解を通じて、仏教の教義が如何にして日常生活に適用されるべきかを明示しています。
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法介:ここで日蓮さんは、
さっき話した、『法華経』の如来寿量品で出てくる「如来秘密神通之力」についてふれられている。
「如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり、其の故は如来と云うは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり」と判じ給へり、此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり」
この部分は大変重要な事を云われておりますので掘り下げて詳しく解説しましょう。