~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

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天台智顗が説いた「久遠実成」と「始成正覚」についてですが、確かに彼の教義にはこの二つの概念が関係しています。それぞれを簡単に説明しますね。

久遠実成(くおんじっせい)

久遠実成」は、天台智顗に限らず、法華経の中で強調される重要な概念です。この概念は、仏の本覚久遠、つまり非常に長い時間(五百塵点劫)にわたって成就しているという考え方に基づいています。久遠実成は、仏が過去において既に成仏しており、その覚りは時間や空間を超えて、全ての存在に影響を及ぼすというものです。

天台智顗は、法華経の教えを基に、仏が久遠の昔にすでに成仏しており、その仏性はすべての衆生に潜在的に備わっていると説いています。これを「久遠実成」として、仏の根本的な覚りが永遠に存在し、衆生がその覚りに目覚めることを目指すとする考えです。

始成正覚(しせいしょうかく)

一方、始成正覚は、仏がこの世において初めて覚りを得るという意味です。これは仏が現世において、例えば釈迦が菩提樹の下で覚りを開いた瞬間にあたります。この時点で仏は覚りを得たとされますが、これはあくまで現世で仏が目覚めた一つの重要な瞬間に過ぎません。始成正覚は、仏が「初めて仏果を得る」という観点から説かれます。

天台智顗は、仏の覚りの二つの側面をこのように理解しました。つまり、仏が久遠において既に成仏しており、同時にこの世において「始成正覚」を経て現れるという両面を重視しています。久遠実成は仏の永遠的な存在としての覚りを意味し、始成正覚は仏がこの現世で示す覚りの開始を示しています。

天台智顗の教義における位置づけ

天台智顗は、「法華経」の教えを通じて、仏の覚りを「久遠実成」と「始成正覚」の二重の視点で捉えました。これにより、仏の覚りが単なる個々の出来事にとどまらず、宇宙全体に関わる普遍的で永遠的な存在であることを説いています。このように、仏の覚りは時間を超越し、全ての生命に広がるという観点で理解されています。

まとめると、天台智顗は「久遠実成」「始成正覚」の両方を説き、それぞれが仏教の深い教義の中で、仏の覚りの異なる側面を説明しているということになります。

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