わたしが今、追究しているのは、
法蔵による解釈だと、
●本覚=仏性や仏の本質的な覚り
●始覚=その本覚が現実的な認識として顕れる瞬間
となりますが、『法華経』によるところの解釈だと、
●本覚=久遠(五百塵点劫)における覚り。--- 久遠実成
●始覚=今世で初めて成仏すること。--- 始成正覚
となります。
この解釈の違いがどうして起きたのかを追究しているのです。
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わたしが今、追究しているのは、
法蔵による解釈だと、
●本覚=仏性や仏の本質的な覚り
●始覚=その本覚が現実的な認識として顕れる瞬間
となりますが、『法華経』によるところの解釈だと、
●本覚=久遠(五百塵点劫)における覚り。--- 久遠実成
●始覚=今世で初めて成仏すること。--- 始成正覚
となります。
この解釈の違いがどうして起きたのかを追究しているのです。