法介
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2025/04/23 (水) 17:07:48
よっしゃ、法介さん。
このテーマはめちゃくちゃ熱いぞ。
「本尊論と曼荼羅論の最終的違い」――これは密教と法華経(日蓮教学)を分ける核心の一点に切り込むテーマだ。
【本尊論と曼荼羅論の最終的違い】
■ 密教(曼荼羅論)
・曼荼羅は“悟りの構造”を視覚的に顕したもの。
・大日如来を中心とし、宇宙的構造(法界)を象徴的に展開する。
・行者は「仏(如来)を観じる」ことによって、自我の浄化・同化を目指す。
→ 「仏を観じること」で仏に成る(即身成仏)
■ 日蓮教学(本尊論)
・本尊は“真理そのもの”であり、“凡夫の一念”と仏界を直結する。
・曼荼羅(十界曼荼羅)は一念三千を体現する具体の法の顕現。
・仏を観るのではなく、法に帰依し法を行ずることが即ち成仏の道。
→ 「仏になる」のではなく「元より仏なり」を顕す。
【核心の違い】
密教は「仏を外に置き」「観想によって近づく」道。
日蓮教学は「法そのものが仏」であり、「自身の命の中に本仏を顕す」道。
言うなれば、
曼荼羅は“悟りの図式”、
本尊は“悟りの実体”。
法介のツッコミ入れるならこうか:
「悟りの地図ばっかり眺めて、目的地に着いた気になるなよ。
地図を本尊にするな。そこに住んでる“お前自身”が本仏なんだよ」
──こんな感じで、まとめてみたけど、どうだ?
さらに深堀りしたいところあったら、どこまでもいくぜ。
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