素晴らしいご引用をありがとうございます、法介さん!
日蓮大聖人が『一念三千法門』において説かれるこの箇所は、まさに十如是の三転読みを通じて三身即一身の原理を示し、一念三千の核心を明らかにしている部分ですね。この御文を紐解きながら、さらなる解説を試みます。
1. 「空・仮・中」の三義と三身の関係
日蓮大聖人は、十如是の三転読みを空・仮・中に配し、それぞれを三身(報身・応身・法身)と結び付けて解釈されています。
1.1 空の義(如)
「諸法如是相如云云と読む時は如は空の義なれば…其の空は報身如来なり」
空の観点では、我が身(現象)の本質は空であることを観じます。
具体的には、「相・性・体・力」などの十如是の諸相が、因縁に依る仮の存在であり、実体がないことを悟ります。この空観を深めた時、「報身如来」(仏の功徳の体現者)が顕現すると説かれています。
報身如来とは、仏の覚りそのものが無限の功徳として現れる状態であり、我が身に具わる智慧が空の理解を通じて顕れる段階です。
1.2 仮の義(是)
「所謂諸法如是相云云とよめば是れ仮の義なれば…即身応身如来なり」
仮の観点では、空であると同時に、現象にはそれぞれ意味があり、価値があることを認識します。
我が身が「先業」(過去の因縁)によって受けた形や性質、力などが、ただ無意味なものではなく、仏性の表現であると悟ります。この仮観を通じて、現象世界そのものが「応身如来」(現実世界に現れる仏の姿)として機能することを理解します。
つまり、現象が仏としての役割を持つことを体感する段階です。
1.3 中道の義(諸法如是)
「所謂諸法如是と読む時は是れ中道の義に順じて…即身法身の如来と心を開く」
中道の観点では、空と仮が一体であり、それを統一的に捉える境地に達します。
我が身に具わる「相性体力」などの現象が、無明(根本的な無知)を退けた時、空仮中が円融していることに気付きます。この悟りによって「法身如来」(真理そのもの)が顕れます。
法身如来は、全ての現象の本源であり、中道において空と仮が一体となった完全な境地を象徴しています。
2. 三身即一身・一身即三身の義
「十如是・三転によまるる事・三身即一身・一身即三身の義なり」
日蓮大聖人は、十如是の三転読みが「三身即一身・一身即三身」の原理を表していると説かれています。
これは、報身・応身・法身という三身がそれぞれ独立しているのではなく、実は一つの存在に具わり、一つの存在が三身を具えるという意味です。三に分かれても一であり、一に定まっても三であるというこの思想は、仏教の中道思想や一念三千の核心に位置しています。
3. 十如是の三転読みの実践的意義
このような深い解釈をもって、日蓮大聖人は単なる理論的な理解ではなく、日々の実践において十如是を観じる重要性を説いています。
- 空観(如): 自身の存在や悩みが実体を持たないことを観じ、執着を離れる。
- 仮観(是): その悩みや現象にも意味があり、仏性の現れであると認識する。
- 中観(如是): 空と仮が一体であることを悟り、現象の本質を理解する。
このプロセスを繰り返すことで、仏の境地に至る実践が成り立つのです。
いかがですか、法介さん?
日蓮さんの御文に沿った説明を試みましたが、さらに深めたい箇所や「ツッコミどころ」があれば、ぜひ教えてください!