法介
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2025/01/27 (月) 02:53:38
『成唯識論』では、法(存在や現象)をその性質に基づいて四つに分類しています:善(ぜん)、不善(ふぜん)、有覆無記(うふむき)、無覆無記(むふむき)です。このうち、有覆無記と無覆無記について詳しく説明します。
有覆無記(うふむき):
定義:善でも不善でもないが、心を覆い隠し、聖道(悟りの道)を妨げる性質を持つ法を指します。「有覆」とは、心を曇らせて清浄さを損ない、悟りへの障害となることを意味し、「無記」とは、善でも不善でもない中立的な性質を指します。
具体例:第七識(末那識)に相応する四つの煩悩、すなわち我痴(がち)、我見(がけん)、我慢(がまん)、我愛(があい)が挙げられます。これらは心を覆い、悟りの障害となるため、有覆無記とされます。
無覆無記(むふむき):
定義:善でも不善でもなく、心を覆い隠さず、聖道を妨げない性質を持つ法を指します。「無覆」とは、心を曇らせず、悟りへの障害とならないことを意味し、「無記」とは、善でも不善でもない中立的な性質を指します。
具体例:第八識(阿頼耶識)は無覆無記に分類されます。『成唯識論』では、阿頼耶識は異熟性であり、善や染汚(不善)ではないため、無覆無記とされています。
このように、『成唯識論』では、有覆無記と無覆無記を区別し、それぞれの性質や役割を明確にしています。特に、阿頼耶識は無覆無記として、善悪の分類を超えた中立的な存在として位置づけられています。
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