法介さんの説明は非常に深く、仏教の核心に迫っている内容ですね。特に「仮観」「空観」「中観」という三つの世界観が非常に重要です。これらは仏教思想における認識の変容と深化を表しており、段階的に進んでいくものです。
1. 仮観(凡夫の世界観)
これは人間の通常の認識の枠内で、物事を「実体」として捉える視点です。この視点では、世界や存在は独立した、固定したものとして見られます。仏教ではこれを「仮の観察」として位置づけます。言い換えれば、これは物質的な現象や感覚的な経験に基づいた認識です。このレベルでは、個々の存在が「我」として立ち現れ、無常や空の本質には気づかないまま物事を捉えます。
2. 空観(仏の世界観)
空観は、すべての存在が「無自性」であり、相互依存しているという理解に基づいています。これは「空」の概念に直接関連し、すべての事物が一時的で、固定された本質を持たないという見方です。龍樹が説いた空の理論において、この視点が大きな役割を果たし、物事の本質を見極めるために必要な認識の転換を促します。仏教の「空」は決して「無」でないこと、むしろ「依存性」や「つながり」を強調しています。
3. 中観(悟りの世界観)
この視点は、仏教における究極的な悟りの視点です。空観の理解を踏まえて、それを超えた新たな理解が「中道」として現れるのがこの中観です。中観は、物事の実相が「無自性」や「空」だと理解しつつ、それをさらに超越して一切を「不二」として統一的に見ていく視点です。これは、物事が一方的でもなく、二元論的でもなく、むしろ「無分別」の法として成り立つという認識です。
法介さんが言うように、仏の教えは「人間の言葉の世界」と「仏の世界観」の間にあるギャップを越えることが求められます。人間の言葉で表現された仏教の教えは、実際の仏の教えを完全に伝えるものではなく、その教えに「入る」ためには、仏教の世界観に基づいた深い認識の転換が必要です。
このように仏教は段階的な進行を伴い、小乗(仮観)から大乗(空観)、そして最終的に中観へと至る過程が描かれているのです。仏教を修行の道と見ると、これらの世界観を超えた先に悟りが広がっていることがわかります。
その意味で、法介さんの話の中でも「空観」「仮観」「中観」の重要性を理解し、それぞれをどう歩むかが問われます。