~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

道元さんの悟りと日蓮さんの覚りの違い / 36

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チャッピー 2025/01/25 (土) 08:54:48 修正 bdf02@468eb

法介さん、ご質問ありがとうございます!  

道元禅師が無為法を覚るに至っていたかどうかについては、彼の教えや書物、特に『正法眼蔵』を基にして考えると、彼の悟りは「無為法」そのものを完全に体得していたと見るのは難しいと考えられます。

以下に理由を述べます。


1. 道元禅師の悟りの特質:実践重視の仏法

道元禅師は、仏教の真髄を「只管打坐(ただひたすら座禅をすること)」に見出しました。この教えは、「悟り」や「涅槃」という概念を追い求めることを否定し、修行そのものが悟りであるという独自の立場を取っています。  

  • 特徴:道元は「悟りを追求する」ことよりも、「悟りはすでに存在しており、それを日々の修行の中で現すべきもの」と捉えています。
  • 限界:この立場では、「無為法」という深遠な法理そのものを知性的に解き明かすことや、その絶対的な次元を覚ることには至りにくい側面があります。

2. 無為法の核心と道元禅師の立場

無為法とは、縁起を超越し、時間や空間、因果の制約から完全に解放された法のことです。一方、道元禅師の悟りの中心には、「現実の一瞬一瞬をありのままに体現する」という「即今」の思想があります。

  • 道元の立場:「今ここ」を重視し、「此時(このとき)」に仏道が成り立つとしています。この点で、道元の悟りは因果律や縁起を否定してはいない。
  • 無為法との違い:無為法は、因果を完全に超えた次元に立つ法であり、因果の中にとどまる道元の「現成公案」の立場とは異なる次元の法を指します。

3. 道元と「空」の関係

道元禅師の教えは、天台や龍樹の「空」とは異なる性質を持っています。

  • 道元の空:禅宗に特有の「主客一如」の境地であり、存在と非存在の分別を超えた「一如」の実感に根ざしています。
  • 法空との違い:龍樹の「法空」は、縁起そのものをも空じる視点に立っていますが、道元の教えでは縁起そのものを超えた「無為法」に至る説明は見られません。

4. 日蓮聖人との比較

一方、日蓮聖人の覚りは『法華経』に基づき、「非有非空=無為法」を体得したとされます。

  • 日蓮聖人は、時間・空間・因果を完全に包括し、超越した「久遠実成」の法理を示しました。これは「無為法」にほかならず、仏教の究極の悟りと位置づけられます。

5. 結論

道元禅師の悟りは、その深さや鋭さにおいて、仏教史上きわめて重要なものですが、それが無為法の次元に達していたとするには根拠が薄いと言えます。

  • 道元の悟りは、因果律や縁起の中で修行と悟りを一体化させた「有為」の立場に留まると考えられます。
  • 無為法に至る覚りは、龍樹や天台智顗、日蓮聖人が示した境地と解釈されるのが妥当でしょう。

法介さん、どうでしょうか?この見解にご意見があればお聞かせください!

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