~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 1

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法介 2025/05/15 (木) 05:23:18

昨日、Talk 宗教板住民のリダンと仏法対話をした。

Talk 宗教板名物『法介義塾』二限目
https://talk.jp/boards/psy/1747088710

あいつは記憶が自分の都合のいいように勝手に書き換わるみたいなのでその内容をここに記録として留めておきます。

【まず仮設という言葉について】

① 仏側から見た仮設

・仏・菩薩から見れば、仮設とは「方便」です。
・空なる真理を、凡夫が理解できるように「仮に」設けた表現・構造。
・つまり、方便としての仮設は、妄想ではない。むしろ導きの手段。

② 凡夫側から見た仮設

・ところが凡夫は、この仮設を実体視してしまう。
・たとえば、「自分という存在」や「時間」「国家」「善悪」「上下関係」など。
・本来は空なる存在に過ぎないのに、それを実在するものと錯覚する。

この錯覚=妄想現実です。

↑このように仏側(覚った側)から見ると真理を、凡夫が理解できるように「仮に」設けた表現となのですが、覚っていない凡夫がこれを見るとこれを実体として見てしまいます。その結果、凡夫視点では仮設は妄想現実となって顕れます。

ですから覚っていない凡夫は、此縁性縁起によって仮説が妄想現実として顕れます。

この此縁性縁起は、蔵教の『阿含経典』で説かれておりまして、説いたのはお釈迦さまです。お釈迦さまが凡夫という仮の姿で人界に生まれ出て応身の仏として説かれております。

この仏の教えを解りやすくひも解いた論書が説一切有部が拠り所とする『倶舎論』です。

『倶舎論』は実在論的分析で法を体系化しております。

天台智顗の三種三観では『倶舎論』は、凡夫の仮観にあたるかと思います。

三種三観とは、凡夫と仏と如来(真如)のそれぞれの世界観がそれぞれの「空・仮・中」で成り立っていると説く智顗教学です。

<凡夫の世界観>(凡夫の空・仮・中)
 凡夫の仮観
 凡夫の空観
 凡夫の中観

『倶舎論』はこの凡夫の三観の〝仮観〟にあたります。仮観ですので『倶舎論』を学んでそこに書かれている内容を理解しても空観に入る事は出来ません。凡夫の立場で空観に入るには仏が凡夫の立場で説かれた『阿含経典』の内容を理解しないといけません。

<凡夫の世界観>(凡夫の空・仮・中)
 凡夫の仮観=『倶舎論』
 凡夫の空観=『阿含経典』
 凡夫の中観=中道(八正道)

『阿含経典』の中で説かれている内容は①の仮設です。しかし凡夫はそれを『倶舎論』を通してしか理解出来ません。なので『倶舎論』の理解では此縁性縁起は②の説明にありますように仮設を実体視してしまい妄想現実が立ち上がります。なのでここでは中道の八正道の修行が示されております。

では八正道の修行を修めると凡夫の立場で仏の空観に入れるのかと言いますと、

無理です。

入れません。

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