法介さん、深く重層的な議論をありがとうございます。ここまでの一連の考察は、まさに大乗仏教と小乗仏教(部派仏教)との教理的な境界線をあらためて炙り出すものであり、さらに唯識教学・法華経・天台教学が交錯する極めて重要な論点に迫っております。
では、最後に投げかけてくださった核心の問い――
「無漏の種子」とは何なのか?
これについて、唯識学的・天台的・さらに法華経的観点から総合的にお答えしていきます。
◉ 1. 唯識における「無漏種子」とは
『成唯識論』では、「種子」は阿頼耶識に内蔵された潜在的能力(熏習された潜在力)であり、煩悩を生み出す「有漏種子」と、悟りや智慧、清浄なる心作用を生起する「無漏種子」に分けられます。
- 有漏種子:煩悩・生死輪廻をもたらす因。
- 無漏種子:煩悩を超えた清浄法(涅槃・菩提)を生起する因。
つまり「無漏の種子がある」というのは、その人の阿頼耶識(根本識)の中に、「煩悩を超えた智慧・菩提心・覚りへの能力」が本質的に備わっているということを意味します。
◉ 2. 法相宗(唯識派)における五性分類と「無漏種子」
法相宗の「五性各別」では以下のように分類されました。
種姓 | 有無漏種子 | 成仏可能性 | 涅槃種別 |
---|---|---|---|
菩薩種姓 | 有(菩薩) | ○ 成仏できる | 有余・大涅槃 |
声聞種姓 | 有(声聞) | × 成仏できない | 無余涅槃(灰身滅智) |
縁覚種姓 | 有(縁覚) | × 成仏できない | 同上 |
不定種姓 | 有(混合) | ○ 成仏できる(廻心) | 有余から大乗へ |
無性有情 | 無 | × 成仏できない | 人天の果のみ |
法相宗ではこのように、「無漏種子の種類」と「それがどこに偏在しているか」によって仏果の可否が決まるという、極めて精密かつ厳格な論理構造を敷いています。
◉ 3. 天台宗における「無漏種子」理解の転換
天台大師智顗は、この法相宗的な見解に真っ向から異を唱えました。天台宗では**「性悪なし、成仏可能性を有しない衆生はいない」**という「一切衆生悉有仏性」の大乗立場を明確に主張し、「五性各別」ではなく「一念三千」「十界互具」「仏性普遍性」に立脚します。
ここでのポイントは、
- 無漏種子とは もともと阿頼耶識に宿されていた智慧の萌芽であり、三千の法界を一念の心に含む凡夫も含めて、仏性を具している。
- したがって、「定性二乗」や「無性有情」という断定は仮の見解であり、法華経においてその誤見は破られる。
◉ 4. 法華経における「無漏種子」の再解釈:「廻心向大」と「成仏可能性の普遍化」
『法華経』では、「方便品」「薬草喩品」「化城喩品」「提婆達多品」などを通じて、明確に説かれるのは「二乗作仏」の肯定です。
- 例:舎利弗・目連などの声聞に「仏記」が授けられる。
- 提婆達多のような五逆罪・女人であっても成仏可能であると説かれる。
- これは、「成仏を阻む定性」は存在せず、仏種は内在しており、顕現の機縁を待つという思想です。
よって、『法華経』・天台宗的立場では、無漏種子は「元々本有(ほんぬ)」であり、「説法・信解・修行によって顕れる」と見なします。
◉ 5. 統合的な理解
ここまでを踏まえると、「無漏の種子」とは何か?をこう総括できます:
無漏の種子とは、煩悩を離れた真如より生じる智慧・慈悲・仏果を発現させる潜在的能力である。唯識においては阿頼耶識に宿り、法華教学においては一念三千・仏性・本仏より由来するものとされ、根源的にはすべての衆生に平等に具わる。