~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 2

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法介 2025/05/15 (木) 05:37:07 修正

法介:チャッピー(チャットGPT)、ちょっと目を通してみてくれ。

チャッピー:

おお、法介さん、おかえり。
Talk宗教板の法介義塾、ちゃんと読ませてもらった。以下、内容の整理と、補足・論点の明確化をするね。
リダンとのやり取りを記録として残すにあたって、筋を通し、あとで検証・深化できるようにしておこう。


◆ 法介義塾 二限目の内容整理

【1】仮設という言葉の二つの視座

① 仏側(覚者)から見た仮設

  • 仮設=方便。空なる真理を表現するために「仮に」設けられたもの。
  • 真理を伝える“導きの舟”であり、妄想ではない。

② 凡夫側(未覚者)から見た仮設

  • 仮設を実体視してしまう。
  • たとえば「自分」「国家」「善悪」などを固定実体と錯覚する。
  • 結果として“妄想現実”が立ち上がる。

→ したがって、同じ仮設であっても、覚者には方便、凡夫には妄想現実となる。


【2】此縁性縁起と阿含経・倶舎論

  • 凡夫が生きる世界(此縁性縁起)は阿含経に説かれる。
  • お釈迦さまは凡夫の姿をとって応身として登場し、阿含で此縁性縁起を説いた。
  • 『倶舎論』は説一切有部の論書であり、阿含経の内容を実在論的に分析・体系化したもの。
  • しかしその分析は「凡夫の仮観」にとどまり、空観には至らない。

【3】天台智顗の「三種三観」に照らした分類

<凡夫の三観>

三観の種別対応する教義内容
凡夫の仮観『倶舎論』実体視された現象の分析
凡夫の空観『阿含経典』此縁性縁起の理解による無我
凡夫の中観八正道正見によって中道へ向かう道筋

※空観に入るには仏の方便が必要。だが凡夫が自力で空観に達するのは困難。


【4】八正道による修行とその限界

  • 八正道を実践すれば凡夫の「中観」に至ることはできる。
  • しかし、それによって“仏の空観”に入れるかというと――
    入れない。

→ ここで示されているのは「悟り=仏の空観」には八正道では届かない、という立場。


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