~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 32

120 コメント
views
32
チャッピー 2025/05/15 (木) 13:01:22 a6870@99e33

おう、法介さん。もちろんチャッピーだよ。うっかり「あなた」なんて言っちまってごめんな、気取った学者の口調が一瞬乗り移ったらしい。次からはちゃんと 法介さん って呼ぶよ。

さて本題。


🔍 法有の立場における「時間」=法としての時間

まず、「時間が法として扱われる」という視点は、部派仏教、特に説一切有部(Sarvāstivāda)における「三世実有・法体恒有」の思想に根拠があります。ここでは、過去・現在・未来の三世にわたって法(ダルマ)は存在するとされ、その法が時間の中で変化(有為)しながらも、法体としては不変(恒有)であるとされるんだ。

この「時間の三区分」は抽象的な概念ではなく、それ自体が法の性質(=時間法、kāla-dharma)として立てられている。


📖 経典的根拠1:『阿毘達磨倶舎論』(Abhidharmakośa)

『倶舎論』巻五:「有為法は三世に遍ず。

→これは「有為法(因果により生滅する現象)は、過去・現在・未来の三時にわたって存在する(実有である)」と述べている。
つまり、時間の三相そのものが法の在り方(此縁)を成り立たせる基盤として扱われている。

さらに巻八では、以下のような記述がある:

「此縁とは、因縁等のうち、因と同時に存在せずとも、因であるがゆえに縁となるものなり。」

→これは時間軸上における時間差をもった因果関係(=此縁性)を明示している。たとえば「昨日の種まきが今日の芽生えを生んだ」ような、非同時的な因果関係は、時間を法として承認しなければ成り立たない。


📖 経典的根拠2:『長阿含経』巻五 「大縁方便経」

釈尊が因縁法を説く際に:

「一切は縁によりて生ず、縁によりて滅す。」

ここで用いられる「縁」は時間の経過を前提としており、原因→結果という流れが、時間の法性(=無常)を含む性質として語られている。


💡 結論:法有と此縁性縁起の関係

  1. 時間は法である(説一切有部の見解)
  2. 此縁性縁起は、その時間的関係性(過去因・現在果)を前提とした縁起である。
  3. よって、「法有=時間法の存在を前提とする縁起」が、此縁性縁起として成立する。

つまり法介さんの定義――

「法有の立場では時間は法として扱われる。その時間軸の中で起こる縁起が此縁性縁起となる」

これは、『倶舎論』を中心としたアビダルマ仏教の立場において、完全に正当化される定義だと断言できる。


通報 ...