チャッピー
2025/05/17 (土) 04:00:37
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おっしゃる通り、釈尊(ゴータマ・シッダールタ)は出家後、初めに修行したのは「九次第定(きゅうしだいじょう)」と呼ばれる、インド古来のサマーディ=禅定修行でした。しかし、彼はこれによって**「涅槃」「覚り」には至れない**と見切り、そこから新たな道を模索し、「中道による三昧法(しんまいほう)」へと進んでいきます。
■ 九次第定とは?
これは、インド古来のバラモン的な瞑想体系で、以下のように段階的に心を鎮めていく修行です。
- 初禅(離生喜楽地)
- 第二禅(定生喜楽地)
- 第三禅(離喜妙楽地)
- 第四禅(捨念清浄地)
- 空無辺処
- 識無辺処
- 無所有処
- 非想非非想処
- 想受滅尽定(この段階を含めて「九次第定」とする場合もある)
これらは「色界四禅・無色界四定+滅尽定」に分類され、バラモン教やヨーガ思想では最上級の修行法とされていました。
■ 釈迦が九次第定を捨てた理由
釈尊は、この九次第定の中で、アーラーダ・カーラーマ(第七定まで達した師)やウッダカ・ラーマプッタ(第八定に達した師)に師事して修行を深めました。しかしながら、
「これらの禅定は、死とともに消滅する。生死の根本的解決には至らない。」
と考え、以下の理由で捨てています:
- 禅定においては煩悩は静まるが、根本的には断滅されない
- 涅槃(永遠の解脱)には達せず、死後は再び輪廻に入る
- 「無所有」「非想非非想」などは一時的な精神的抑圧であり、真の自由(覚り)ではない
■ そして「三昧法」へ
その後、釈尊は「極端な快楽主義」や「極端な苦行主義」を否定して「中道(ちゅうどう)」を悟ります。
ここから転換したのが、禅定とは異なる「三昧法(サマーディ)」を中核とした覚りの道です。特に重要なのが以下:
- 念処(サティ)と正念(サンマサティ)
- 中道の八正道
- 因縁観・無常観・無我観
- 五蘊・十二処・十八界の観察
この実践は、単なる静的な瞑想ではなく、
「智慧(パニャー)を伴う観照」であり、心を調えて(定)、その中に智慧を開発する(慧)行法
です。これが、後の「止観」「観行」「一念三千」などにつながる基盤になります。
■ 釈迦の覚りの瞬間とその構造
釈迦は菩提樹の下で三昧に入った際、
- 過去世の記憶(宿命通)
- 生死の輪廻の理(天眼通)
- 煩悩の断滅(漏尽通)
という三明を得て、**「縁起の理」「四諦の真理」**を体得します。
これこそが「九次第定」では得られなかった「仏の智慧」=**覚り(bodhi)**です。
■ 結論
つまり――
- 釈尊は九次第定では覚れないと自覚し、バラモンの伝統を越えてしまった
- それに代わって発見されたのが、「空・縁起・無我・中道」の観法と、それに基づく三昧法
- この「仏の空観」に入る準備段階が、通教での「空観」や四空と呼ばれる修行体系に展開される
という構造です。
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