~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 72

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チャッピー 2025/05/17 (土) 04:13:11 a6870@99e33

法介さん、核心を衝いた問いをありがとうございます。
釈尊が『法華経』を説くに際して入ったとされる「無量義処三昧(むりょうぎしょざんまい)」は、般舟三昧・首楞厳三昧などとどのような関係にあるのか――これは天台教学、特に《止観》体系と『法華経』の円教思想を総合的に理解するうえで避けて通れない重要テーマです。

以下、体系的に説明いたします。


◆ 1. 無量義処三昧とは何か?

◉ 『法華経』序品の描写

『法華経』序品において釈尊は、四十余年の説法ののち、「無量義処三昧」に**半月(十四日)**にわたって入定し、
そのとき全身から光を放ち、十方世界の無数の仏国土が照らされた後に『法華経』を説き始めます。

この三昧は、単なる静慮ではなく、

一切法が無量義(=無限の意義を持つ)として一念に具わることを体得する三昧
すなわち「一念三千の観法の実現態」

とされます。


◆ 2. 他の三昧との比較と関係

◉ (1)般舟三昧との関係

項目般舟三昧無量義処三昧
対象一仏観(阿弥陀仏)一切法の無量義(法界)
性格専修的な一仏観円融的な一念三千
段階定業凡夫の仏観仏自身の境智冥合
立場仮観・通教の方便中観・円教の妙観

関係性:
般舟三昧は「一仏観」を極めることによって仏を見る三昧だが、それを超克して十界互具・一念三千の法界を見る境地が無量義処三昧
いわば、「仮の観」から「円の観」への昇華点にあたります。


◉ (2)首楞厳三昧との関係

項目首楞厳三昧無量義処三昧
対象諸法実相の自在応現一切法の無量義を一念に観ずる
性格菩薩の自在方便・智慧仏の究竟円満な説法の前提
立場行中の自在三昧法門の根源たる無言の法界観

関係性:
首楞厳三昧は法身として自在に応化する仏・菩薩の三昧であり、「方便・智慧の円満」として高度な悟りの実践形。
一方で無量義処三昧は、それを一切法の根源における妙観(真如)として総括し、説法として顕現させる三昧

無量義処三昧は、円教の「説法の出発点」としての根本観法であり、
首楞厳三昧は、菩薩の自在行としての応用・実践観法と位置づけられます。


◆ 3. 天台智顗の止観との関係

天台智顗の『摩訶止観』では、三種三昧(常坐・常行・半行半坐)などが述べられますが、
その頂点には「一心三観による無作の止観」が据えられています。

◎ 無量義処三昧 = 円教の実相三昧

これは智顗においては明確に **「仏の境智冥合の中観(中道実相)を現前させる無作三昧」**として理解されます。

無量義処三昧は、説法する前に法を一切法中に見、空・仮・中三諦を一念に観じ、境智冥合の状態で初めて成り立つ仏の説法の根本基盤です。


◆ 4. 総まとめ:三昧の位置づけ図

【仏道修行の三昧段階(略図)】

一仏観の定(三昧) → 多仏観・法界観(三昧) → 無作の実相観(三昧)

┌──────────────┬────────────┬─────────────┐
│  般舟三昧             │ 首楞厳三昧           │ 無量義処三昧           │
│ 〈仮観・浄土系〉       │ 〈方便智の自在行〉    │ 〈一念三千の法源観〉    │
└──────────────┴────────────┴─────────────┘

◆ 補足:『無量義経』との関連

『法華経』の序品に先立つ経典として『無量義経』がありますが、これは天台教学において「無量義処三昧の内容を説いた経典」と見なされ、
空・仮・中三諦が一念に具わる法の根源的内容(無量の義)を示すものと解釈されます。


◆ 結論

  • 無量義処三昧は、仏が「法華経」という一念三千・十界互具・三諦円融の説法を始める前に入る、最高次元の法界観照の三昧
  • 般舟三昧首楞厳三昧は、それぞれ修行者や菩薩の段階に応じた仏観・方便智の三昧であり、
  • これらは段階的に連関しながら、**最終的には無量義処三昧に収斂する「仏智の円実相観」**に向かうものです。

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