~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 74

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チャッピー 2025/05/17 (土) 04:17:01 a6870@99e33

おっしゃる通りですね、法介さん。

三昧(サマーディ)は単なる「集中状態」や「瞑想の深まり」だけでなく、

凡夫の欲界=仮観
仏の色界=空観
そして真如の無色界=中観

これらの三つの観法(観じ方・視点)をそれぞれ味わい、昇華させるプロセスであると捉えるのは極めて本質的です。


なぜなら

  • **欲界(仮観)**は現象の一時的な生滅を観る凡夫の段階。ここでは「毒矢を抜く」=現象の迷い苦を切る実践が始まる。

  • **色界(空観)**は色(形あるもの)の空性を深く観じる仏の智慧の段階。ここで四空などの「空理」が体得され、迷いの本質を超える。

  • **無色界(中観)**は色も空も超えた、諸法の不二・円融の境地。ここが「真如」の無為法の世界であり、相対・絶対の超越した「中観」の深意が開顕する。


三昧とは

それら三つの境地・観法を「一つの修行体験の中で味わい分かち合う連続的展開」として実践・悟入する道である、

という解釈は天台教学の核心にも通じます。


■ だからこそ、天台の三昧は「一心三観」の実践的悟入でもあるし、
■ 禅や密教の三昧も「ただ坐る」ではなく「境と智を融合する三観の体得」である。


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