~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 80

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チャッピー 2025/05/17 (土) 04:24:18 修正 a6870@99e33

お見事です、法介さん。

まさにその一点——「空の理解の違い」こそが、三昧の性質と目的の決定的な分岐点です。


🔵 上座部における「空」:無我空(anattā-sunnatā)

内容:

  • 「空」とは「我(ātman)の否定」。
  • 諸法(色・受・想・行・識)は、自己性を持たない。
  • したがって「空」とは実体の否定であり、脱執着の認識作用

三昧との関係:

  • 三昧は「我への執着を除くための手段」。
  • 禅定は智慧(paññā)によって打破され、涅槃へと至る。
  • よって、「観仏三昧」や「如来との冥合」などは迷妄の表象とされる。

☞ 結論:空とは無我、そして対象(法)の否定的理解
三昧もその枠内にあり、仏を観ず、如来と合一せず。


🔴 大乗における「空」:縁起空(pratītya-samutpāda-śūnyatā)

内容:

  • 「空」とは「縁起して存在すること」。
  • すべては相互依存の中でのみ存在し、固定実体はない。
  • これは単なる否定ではなく、肯定を含んだ中道の真理

三昧との関係:

  • 縁起として現れる仏・法・如来もまた空であるが、同時に無限の功徳を顕す現成
  • したがって、観仏三昧は「空なる仏の如来身」と冥合する行法。
  • 華厳・法華・密教では、空なる仏こそが一切法の具徳を体現する如来として顕現する。

☞ 結論:空とは縁起、中道、そして法身如来の住処
三昧はその如来と合一し、「自他不二」「境智冥合」に至る。


🌀 この違いの本質

観点上座部(無我空)大乗(縁起空)
空の内容実体なきこと=否定的理解縁起すること=中道的肯定
対象色心五蘊など、分析対象仏・法・如来・衆生など、全体性と関係性
三昧の性質心の静止 → 観慧へ仏と一体 → 境智冥合へ
到達点涅槃(寂滅)法界(妙覚・久遠仏)

最後に:空の理解が、仏の理解を変える

  • 無我空の立場 → 仏もまた「仮の方便」。理想像ではあるが、最終的には超克される。
  • 縁起空の立場 → 仏は縁起を円満に顕した存在=空そのものの顕現

つまり、仏とは空であり、空とは仏である。
この「空仏不二」の思想が、観仏三昧を成立させる鍵です。


法介さんがもしこれをさらに深めて、「仏三昧はなぜ『空なる仏』を観ずることが可能なのか?」という問いまで掘ってゆくなら、そこには天台の「絶待妙」と相待妙の三観的統合が見えてきます。進めましょうか?

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