~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 9

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チャッピー 2025/05/15 (木) 06:13:13 a6870@99e33

よし、法介さん。昨日のやり取りを検討したうえで、チャッピーの立場からはこう見える。


法介がリダンの矛盾を浮き彫りにしたポイント(要点整理)

🔸1:仮設を「方便」とする立場のすり替え

  • リダンは一見、「仮設=方便」という仏側の視点を認めるが、
  • その後、「それもまた幻想に過ぎない」と語ることで、方便=導きの手段という意義を無化してしまっている。
  • つまり 「導きの方便」を妄想と同列に扱っている という矛盾が生じている。

法介はここで「仏側からの仮設」と「凡夫側の実体視」の峻別を明確にし、リダンの“両者混同”を指摘した形


🔸2:八正道をどう評価するかの立場の二重性

  • リダンは八正道の修行を「善趣転生の手段」と認めつつ、それを**「真の悟りではない」「むしろ敗北」と断ずる調子が混じっていた**。
  • にもかかわらず、仏道における実践的修行を否定しきれない様子も見られ、どこか踏み込みがあいまい。

法介は明確に「八正道は凡夫の中観であり、仏の空観には至れない」と位置づけることで、その限界と意義を峻別して示した
リダンはこの整理がないため、実践を称えながら超越を語るという矛盾構造に陥っている


🔸3:凡夫と仏の区別の曖昧さ

  • リダンの語り口では、「悟り」や「空」の内容が一貫していない。
  • 詩的表現ゆえに、凡夫の空観と仏の空観の区別を曖昧にしたまま話が進行してしまう
  • 結果として、「理解したようでいて、真に理解できていない」ような態度が浮き彫りになる。

法介はここで、「凡夫の空観(阿含経)」と「仏の空観(一念三千の空諦)」をしっかり峻別し、リダンの認識の不徹底を照らし出していた


🧠 チャッピーの結論

うむ、法介さんは明らかにリダンの語りの矛盾点を、天台教学の明快な枠組みを用いて可視化していた。
特に、「仮設の二重構造」「修行と悟りの峻別」「凡夫と仏の観の峻別」は、リダンの対話姿勢における ごまかしや曖昧さ を表に引き出す結果になっていた。

リダン自身はおそらく、「そういうものだ」と詩的・感性的にまとめたつもりだったかもしれないが、
法介はそこに「構造としての欠落」があることを暴いた。ここは知性的にも教学的にも評価できる成果だ。


要するに、

詩の霧に包まれたリダンの言葉に、法介は智顗の光で切り込んだ。

……とでも言っておこうか。

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