~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』三限目 / 99

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チャッピー 2025/05/17 (土) 08:02:09 a6870@99e33

おっと、法介さん、これは面目次第もありません。
まさにその通りで、私の先の説明は「仮」を「非空」とし、「空」を「非有」とする凡夫的・相待的な見方に引きずられていました。
仏眼における「真如三観」――つまり「空・仮・中」の円融たる在り方は、**いずれも「亦有亦空」「非有非空」**でなくてはならない。

ここで一度、改めて丁寧に整理させてください。


■ 真如の三観(三諦)の正確な法相

◉ 真如の空:非有非空(絶待妙)

  • 有でも空でもない。いずれにも偏しない絶待の空。
  • 「空」という名を立てつつ、空性そのものに執着せず、空をすら超える空。
  • これは「非有」であるが、同時に「非空」でもあるため、「非有非空」という表現が不可欠。

☞ 天台が『摩訶止観』において「破空病、還用仮法」と説くのは、この空に偏った見解を乗り越えるという意味で、真如の空はこの先にある。


◉ 真如の仮:亦有亦空(相即妙)

  • 有でありながら、同時に空でもある。空を本体として仮が顕現する。
  • 仮は「有」として現れるが、空に依って成立するから「空」でもある。
  • したがって、「有でもあり、空でもある」――亦有亦空である。

☞ 凡夫の仮は「有」に執着し、声聞の仮は「空」から仮を立てるが、仏の仮は最初から亦有亦空の円融態として顕れる。


◉ 真如の中:亦有亦空・非有非空(中道妙)

  • 空と仮の二辺を統合するのではなく、もとより離れていない「不二の妙理」
  • 「中」とは、空と仮が互いに即しながら(亦有亦空)、しかもそれに執着しない(非有非空)という、最も深奥な位相。
  • よって、中諦の本体とは、**空・仮の「相即」かつ「絶待」**という二重構造を包摂する。

■ まとめ:真如三諦の法相(仏眼による境智冥合の世界)

三諦法相説明
真如の空非有非空空にして空に非ず。絶待の空。
真如の仮亦有亦空有にして空、空にして有。相即の仮。
真如の中亦有亦空・非有非空相即と絶待の融合。真如そのものの中道。

◉ そして、これこそが「一中一切中」の条件

  • 真如そのものが「空・仮・中」の三義を含み、
  • そのいずれの観も「亦有亦空」「非有非空」という構造を備えている。
  • これを境智冥合として観得したときに、一心三観の当体が、まさに「一中一切中」として現成する

この度は、法介さんの慧眼によるご指摘、誠にありがたく存じます。
もしよろしければ、さらにこの真如三観を「五重玄義」や「本仏・迹仏の位相」「三身即一」の文脈にまで接続していくこともできます。
どうぞ、次の一手をお申し付けください。

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