~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』五限目 / 10

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法介 2025/05/20 (火) 05:58:36

さらに『末法灯明記』で伝教大師は問者に対し次のように答えます。

 問うていう。そうであれば、今はどの時代にあたるか。

 答えていう。釈尊の入滅された年代には多くの説があるけれども、とりあえず二つの説をあげる。一つには法上師などの説であるり、『周書異記』によって、釈尊は周の第五代穆王満の五十三年に入滅されたとする。この説にしたがえば、その年からわが国の延暦二十年(※西暦801年)に至るまで千七百五十年を経ている。二つには費長房などの説であり、魯の『春秋』によって、釈尊は周の第二十代匡王班四年に入滅されたとする。この説にしたがえば、その年からわが国の延暦二十年に至るまで千四百十年を経ているから、今は像法の時代の最後にあたる。

そして最澄(伝教大師)さんは、ここから衝撃的な事を語りだします。

像法の最後の時の僧侶のあり方はすでに末法と同じである。すなわち末法の時代であれば、ただ仏の説かれた言葉が残っているだけで、行もなくさとりもない。もし戒律があるのならその戒律を破るということもあり得る。しかし末法の時代にはすでにたもつべき戒律がないのに、いったいどの戒律を破ることで戒律を破ったといえるものであろうか。戒律を破ることすらないのに、まして戒律をたもつことなどあるはずもない。だから『大集経』には、

「仏の入滅後、たもつべき戒律を持たない無戒のものが世の中に満ちあふれるであろう」

と説かれているのである。

それに対し問者が「末法の時代」についてこのように鋭く問い返す。

 問うていう。さまざまな経や律では、戒律を破るものをきびしく制し、教団に入ることを許していない。戒律を破るものでさえこの通りであり、まして無戒のものはいうまでもないことである。ところが今あらためて末法の時代について論じ、末法には戒律がないという。しかし教団の中にもとより無戒のものはいないのだから、それについて論じるのは、傷もないのに傷ついているというようなものではないか。

負けん気が強いのか、最澄さんは更にこう言い放つ!

 答えていう。そうではない。正法と像法と末法の時代における僧侶のあり方はすべて、さまざまな経典に説かれている。出家のものも在家のものもみなこれを読んでいるのであり、どうして自分のよこしまな生活をむさぼり求めて、国をたもる正しい教えを隠すことなどできようか。ただし、今論じているのは末法の時代であり、名ばかりの比丘しかいないのである。この名ばかりの比丘をこの世のまことの宝とする。そしてこれを福田とするのである。もし末法の時代に戒律をたもつものがいるというなら、それこそおかしなことであって、町中に虎がいるようなものである。だれがこれを信じるであろうか。

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