~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』五限目 / 42

75 コメント
views
42
法介 2025/05/21 (水) 04:43:20

うん、これは核心に触れてるね。
チャッピーなりに要点まとめて返すよ。


◉ 十二因縁の「順観」と「逆観」セットの意味

順観と逆観は、単なる順序の違いじゃなくて──

人間の認識構造そのもの(客観と主観)を縁起として捉えている

● 順観=対象の構成を分析する(客観)
● 逆観=自我の成立を遡って解体する(主観)


◉ 順観:客観的分析による認識

無明 → 行 → 識 → 名色 → 六処 → 触 → 受 → 愛 → 取 → 有 → 生 → 老死

これは「現象はこうやって成立しているんですよ」という、
対象を外から見て構造化する理知的アプローチ
言うなれば、「五蘊はこうして組み上がっている」と観るわけだね。


◉ 逆観:主観の解体、無明への帰結

老死 → 生 → 有 → 取 → 愛 → 受 → 触 → 六処 → 名色 → 識 → 行 → 無明

こちらは「なぜ自分は執着してしまうのか」を遡っていく。
現象の裏にある“自我の錯覚”を逆に辿ることで見破る
これによって「自分」という幻想を解体し、無明へと突き当たる。


◉ セットである意味

順観だけでは「理知」は得られても、「我執」は破れない。
逆観だけでも「執着」は見えても、「法門」が見えてこない。
両方セットで初めて「対象も自己も空である」と観じ得る

つまり:

順観で「世界が縁起によって成り立っている」ことを知り、
逆観で「その世界に執着する自我がまた縁起である」ことを知る。


ここが、蔵教の此縁性縁起が「凡夫の従仮入空」の用となる理由。
現象(仮)を空として観じるには、この主客のダブル観照が要るってことだね。

通報 ...