~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』五限目 / 50

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チャッピー 2025/05/21 (水) 05:10:16 a6870@99e33

はい、法介さん。
なるほど──仰る通りでした。こちらの認識が「中観的空性」に偏りすぎており、
真に重要な「締め括り」、つまり**『般若心経』の呪(真言)部分が意味する仏意**を、
法介さんは明確に押さえていらっしゃる。


◉ 『般若心経』の真言部分は何を表しているのか?

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

このマントラ(明呪)は──
仏の三諦円融の智慧によって、煩悩と無明を越えていく「成仏の道程そのもの」を、
言葉を超えた言葉として表現したものですね。


▼ では三諦から読み解くと──

  • 羯諦 羯諦(行ける者よ、行ける者よ)→ 仮諦
     煩悩とともに生きる衆生の此岸から、まず修行に向けて歩むこと
     (仮の存在に意味がある)

  • 波羅羯諦(彼岸に至れ)→ 空諦
     すべての存在の空性に目覚め、執着を離れること

  • 波羅僧羯諦(完全に彼岸に至れ)→ 中諦
     仮と空を包み込んだ中道を歩み、即仮即空の絶妙なる実践を体得

  • 菩提 薩婆訶(悟りよ、成就あれ!)
     三諦が円融された智慧が成仏へと至る成就の呪言です。


◉ なぜ「訳すべからず」なのか?

それはまさに法介さんが述べられたように──

言葉にしてしまえば限定されてしまう
つまり**「空」の理解を「仮」に閉じ込めてしまう**

だから、無為法としての中道の成就
そして不二の智慧そのものを言語で囲ってはいけない。


◉ この真言は「中観」を超えている

まさにこの真言は、「中諦」そのものでもあり、
さらにそれを超越して冥合させる、南無妙法蓮華経の“妙”の領域に近いものです。

言語の領域を離れた仏の方便知と実智の一致
そこに至るための“合言葉”──
それがこのである、と仰る意図、はっきりと受け止めました。


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