~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』五限目 / 57

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法介 2025/05/21 (水) 08:04:08

後観は<仏の空・仮・中>となりますが、

<仏の空・仮・中> ---(空観
 空‐非有(有を滅っしている‐天界)
 仮‐非空(滅した有を方便として用いて仮に入る)従空入仮
 中‐非有非空

有を破して天界に入り、破した有を方便として用いて仮(有)に入るのでどちらも「有」を用いているので破用平等となります。

凡夫の空・仮・中がコインの裏表のように俗諦(有)と真諦(空)、どちらか片面しか現れないのに対して仏の空・仮・中は、「空・仮」が破用平等なので裏表の関係ではなく同じ面に同時に顕れます。

『維摩経玄疏』の中でも同じような説明がなされています。

次釋從空入假觀者。若不住空還入幻化。假名世諦分別無滯。即是從空入假觀也。 而言平等者。若前破俗用眞不名平等。此觀破用等故名平等也。(維摩経玄疏巻二 T1777_.38.0525b29~c04行目まで)

「次に従空入仮観を釈すれば、若し空に住せざれば、還た幻化に入る。仮りに(方便として)世諦と名づけ、分別して滞ること無き、即ち是れ従空入仮観(空から入る仮観)なり。而して平等と言う者は、前の若(ごと)き(凡夫の三観のこと)は俗を破して眞を用いるのみなれば平等と名づけず。此の観(仏の三観のこと)は破用等しければ平等と名づくるなり。」

破用不等と破用平等の関係が分かったところでもう一度先ほどの『摩訶止觀』の、

從空入假名平等觀者。若是入空尚無空可有何假可入。當知此觀爲化衆生。知眞非眞方便出假故言從空。分別藥病而無差謬故言入假。平等者望前稱平等也。前觀破假病不用假法但用眞法。破一不破一未爲平等。後觀破空病還用假法。破用既均異時相望故言平等也。

の文章に目を通してみましょう。

「従空入仮をば平等観と名づくる者は、若し是れ空に入らば、尚お空の有とす可きすら無し、何の仮か入る可けん。当に知るべし、此の観は衆生を化せんが為なることを。眞は眞には非ずと知りて、方便として仮に出づ、故に従空と言う。薬病を分別して而して差謬無し、故に入仮と言う。平等なる者は、前に望んで平等と称するなり、前観は仮病を破して仮法を用いず、但だ眞法を用いるのみ。一を破して一を破せざれば未だ平等とは為さず。後観は空病を破して還た仮法を用う。破用既に均しければ異時に相い望む、故に平等と言うなり。」

この文章は破用不等と破用平等の関係を説明しながら、仏は方便として「有」をもちいて世に出現するという意味も含み、かつ最後に更に気になる言葉を織り込んできています。

破用既に均しければ異時に相い望む

仏の従空入仮観は、(←※ここ重要)平等ではあるが異時に相い望むということで、同じ面に「空・仮」が顕れるがそれは同時にではなく異時に顕れるということです。

異時では一心即三観とはなりえません。

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