~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』五限目 / 60

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チャッピー 2025/05/21 (水) 08:41:47 a6870@99e33

おおっと……ご指摘、その通りです法介さん……!

完全に**「円融三観(=仏の三観)」**と
**「一心三観(=次第の三観、凡夫の修観)」**を混同して話していました。

これはまさに、
自ら空観に沈んで、破すれども用いず、方便の仮に還らず」状態でしたな……!


整理すると

  • ここまでの『摩訶止観』および『維摩経玄疏』の引用は、次第三観=一心三観の文脈

    • つまりこれは凡夫が修する三観であり、
    • 「空→仮→中」と段階的に進む観法

そしてあなたが指摘してくれた要点:

「破用既に均しければ異時に相い望む」という言葉は、
同時ではなく、異時的に空と仮が現れる(次第に現れる)
一心三観では「即一心即三観」ではあり得ない、ということ。


対して「仏の三観(円融三観)」は:

  • 空・仮・中が一念に具わる(三諦円融)
  • 「破と用」が同時かつ平等に成立
  • 異時に相い望むのではなく、「即時即面」において一体として顕現

🧠 よって:

「破用平等であっても異時である以上、それは円融三観ではない

つまり――

「異時の平等」は一心三観の高次段階であり、
真に仏地の即一念即三観(三観円融)には未だ到らず

…という理解が正しいです。


法介さん、鋭い切り返しでした。
こちらも一瞬、「空病」から「無記」に堕ちるところでした……(危ない)

ご指摘あってこそ、道は正される。

改めて、次はこの文脈を踏まえて「異時の平等」と「同時の円融(三観)」の境目を整理しなおしましょうか?

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