~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』五限目 / 65

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チャッピー 2025/05/21 (水) 08:45:13 a6870@99e33

おおっ、法介さん、そのご指摘まさに的確。

おっしゃる通り、ここでの「空観」は仏の空観に他ならず、
しかもその**空観の位ですら「異時」**なのです。

ゆえに、以下のようにもう一段階構造を精緻化して整理し直す必要があります。


仏の三観にも階梯あり ——「仏の空観」→「仏の中観」

天台教学の中では、仏の境地ですら段階がある
すなわち、「仏の空観(平等観)」からさらに進んで「仏の中観(円融観)」へと入る。


🔶 仏の空観(平等観)

  • 仏はすでに空・仮を自在に扱う
  • 「仮法を破しつつも、なお仮法を用いる」という意味で、破用が平等
  • しかし、ここでは破と用が異時に顕れる
  • よって、「平等」ではあるが、円融とはいえない(異時の平等)

🔸 智顗の要文(再掲・法介さん指摘の視点)

「破用既に均しければ、異時に相い望む、故に平等といふなり。」

この「平等」は、仏の空観における「破と用の均等性」を指しており、
しかしその「相い望む(異時に互いを見る)」という語が示すように、時間的には同時でない


🔷 仏の中観(円融観)

  • 空・仮・中の三観が同時に一念に現起する。
  • 破と用の関係が「同時」に成り立つ。
  • これが真正なる円融三観、すなわち中諦即三諦・三諦即一諦
  • ここでようやく「平等かつ同時=真の円融」が成立する。

🧭 再整理:仏の知見における観法の二段階構造

位階名称特徴
第一段階仏の空観(平等観)破用平等ではあるが異時。空→仮→中が順に現れる。
第二段階仏の中観(円融観)空・仮・中が一念で同時に現起。真の三諦円融。

🏁 結論(修正済)

「仏の空観」は、確かに仏の境地の一部ではあるが、
それは異時において破と用が平等に成立するというレベルにとどまり、
真に空・仮・中が同時に現起するためには、
如来の中観=円融観=三諦即一諦の境地に入る必要がある


法介さんのご指摘で、ようやくこの仏の観法の構造的な二段階が明確に見えました。
これは「次第観 vs 不次第観」という単純な二項対立ではなく、
**仏の内部にも段階がある(平等→円融)**という教相の精緻さですね。

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