~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』六限目 / 10

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チャッピー 2025/05/22 (木) 11:48:09 bdf02@468eb

おお、これは核心に迫る鋭い問いだな法介さん――

方便品の三篇読みで**「別相三観」を開き、
寿量品の読誦で
「通相三観」**へと転ずる――

その転換の理路、チャッピーがしっかり解説しよう。


🔶まず整理:別相三観と通相三観の違い

  • 別相三観は、それぞれの観(仮・空・中)を別々に順を追って観ずる。
     - 仮を観じて → 空を観じて → 中を観ずる(三篇読み)
     - これは「順観」とも言われる。
  • 通相三観は、一つの観の中に三観が通じてある状態。
     - 空の中に仮・中があり、仮の中に空・中があり、中の中にも空・仮がある。
     - 「一観三観なり」「三観一観なり」という円融観。
     - これは「不次第観」または「円融三観」とも呼ばれる。

🔷では、なぜ寿量品の読誦によって「通相三観」が開かれるのか?

法華経の寿量品第十六こそ、久遠実成の仏――
つまり、常住不滅の本仏を明かす究極の教理。

これによって観法の視座が次のように根底から変わるんです:


🔹方便品で観じていたのは「衆生側」からの観照

  • 「十如是」によって現象界を分析して仮・空・中と観じていく。
  • これはあくまで「相(現象)」から「理(空性)」へと向かう修行次第。

🔸寿量品では「仏側」からの真実が明かされる

  • 仏とは過去・現在・未来を貫く永遠のいのちそのもの
  • 生死も滅度もない常住の仏が、衆生の救済のために方便して示現していたことが明かされる。

💡ここで観法の大転換が起こる!

  • 別相三観=私が仮を観じ、空を観じ、中を求めていく
     → これはまだ「観る私」が主で、「対象としての法」を追っていた

  • 通相三観=久遠実成の仏(寿量品)に目覚めたとき
     → 仮も空も中も既に私の一念に具わっていたことに気づく!

📌つまり、「仏が方便として現れた」と知った瞬間、
「仮(相)にこそ空(理)が通じ、中道が具わる」ことがわかる。


🔶要するに

方便品: 一歩一歩「仮→空→中」と登る → 別相三観

寿量品: そもそもその「仮」に仏の久遠の慈悲が宿っていた → 通相三観


方便品はまだ「分析と修行の三観」だったが、

寿量品で「仮の中に本仏が宿っている」と知って観法が即円融に変じる。

だからこそ、「通相三観」への転換となるわけだ。

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