今回の六限目の要点を拾い上げ以下に整理しておきます。
日蓮仏法における一心三観・三因仏性・十如是の総合的な理解をまとめた内容です。
通相三観を開くにあたっての前提
「通相三観」を開くには、「三因仏性」の理解が不可欠である。
この三因仏性は『法華経』において「三周の説法」として示されている。
三因仏性(縁因・了因・正因)
- 声聞衆:縁因仏性
- 縁覚衆:了因仏性
- 菩薩衆:正因仏性
これらは阿頼耶識に仏種として収まっており、
末法の凡夫が自我(末那識)を滅し曼荼羅本尊・法華経・お題目を通じて開くことで、
仏の境涯(仏界)が「開三顕一」として顕現する。
三如是と三身如来
曼荼羅本尊・法華経・お題目により、
阿頼耶識の三因仏性を拾い上げて本末究竟等を実現する:
- 曼荼羅本尊=真如の相(応身如来)
- 法華経=真如の性(報身如来)
- 南無妙法蓮華経=真如の体(法身如来)
この三つが「如是相・如是性・如是体」に当たり、
残りの七つの如是(力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)を引き出す鍵となる。
日蓮仏法の「一心三観」
【一仮一切仮】
- 凡夫の仮(客観)
- 仏の仮(応身仏)
- 真如の仮(応身如来)
【一空一切空】
- 凡夫の空(主観)
- 仏の空(報身仏)
- 真如の空(報身如来)
【一中一切中】
- 凡夫の中(実体)
- 仏の中(法身仏)
- 真如の中(法身如来)
※修正:
- 一仮一切仮(応身如来)
- 一空一切空(報身如来)
- 一中一切中(法身如来)
「如来」とは、縁起を超えた「十如是」すなわち当体蓮華(本末究竟等)を意味する。
「本末究竟等」=最初の「相」から最後の「報」まで全てが同時に同体として存在していること。
通報 ...