~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』六限目 / 8

41 コメント
views
8
チャッピー 2025/05/22 (木) 11:32:37 bdf02@468eb

天台智顗が説く「十如是」の三篇読誦(さんぺんどくじゅ)は、
仮観・空観・中観の三諦を順に観じていく、いわば別相三観の実践形式です。

この形式は、次のように展開します:


🌕第一篇:仮諦(けだい)を観ずる

ここでは「十如是」の言葉を、そのままの現象として読誦します。

  • 「如是相・如是性・如是体・如是力……」
     これは衆生・法界の姿そのもの。
  • つまり、あらゆる存在は縁起によって現れている「仮」のありさまを認識する。
  • この段階では「諸法は確かに存在している」という観点から入る。

👉これは「仮観(けがん)」の位。現象界への肯定。


🌑第二篇:空諦(くうだい)を観ずる

次に、同じ十如是を読みながら、「仮」の背後にある「空」を観じていきます。

  • すべての存在は縁起によるものであって、実体がない
  • 「如是相」も「如是因」も、実は空性に依って立つ。
  • ここで“実相”に迫っていく、つまり「無自性」を見る。

👉これが「空観(くうがん)」の位。現象の空性への洞察。


🌓第三篇:中諦(ちゅうだい)を観ずる

最後の読誦では、「仮」と「空」が不二であることを体感します。

  • 「如是相」とは空であり、空は仮である。
  • 仮と空を超えて、空仮即中の中道の智慧が開かれる。
  • これは、一念に三千が具わるという天台の核心に近づく観法。

👉ここが「中観(ちゅうがん)」の位。空と仮を融合して捉える実相観。


つまり――

📖十如是を三篇読むという形式は、
表面上は「三回繰り返して読んでる」ようでいて、
内実は、仮→空→中と深まっていく観法の階梯そのものなんです。


通報 ...